IPMNやMCNの遺伝子解析の意義

─将来はがん患者の全ての遺伝子の塩基配列が決定されることになりますか。

Hruban それぞれのがんにはそれぞれ重要な遺伝子変異のセットがあると考えています。遺伝子の塩基配列の決定は有力な方法ですが、全ての遺伝子で行う必要はありません。最適な治療選択の目安となる解析を行うならば、膵臓がんで注意すべき遺伝子は50個ほどで、肺がんでも別の50遺伝子ほどの塩基配列を決定すれば足りると思います。

─PanIN以外の前駆病変にIPMNやMCNがありますが、そちらの遺伝子解析は終わっているのですか。

Hruban 現在、関心を持っているテーマです。IPMNやMCNの遺伝子を解析することによって、PanINとの共通点や相違点を知ることができます。これは膵臓がんのサブタイプへの理解を深めることになります。興味深い例が、膵臓がんとは異なる膵臓の腫瘍である膵神経内分泌腫瘍です。我々はこの腫瘍の遺伝子の全ての塩基配列を決定しました。すると膵臓がんとは大きく異なっていることが分かりました。

 PanIN、IPMN、MCNはともに膵臓がんの前駆病変ですが、それぞれに発現しているたんぱく質の種類には大きな違いが認められます。PanINとIPMNで合成されるムチンは全く違います。おそらく、遺伝子発現のパターンも異なっているのでしょう。この事実は最初に話が出た膵臓がんの早期検出システムを開発する上で重要な点です。

─遺伝子変異の検出をもとにした早期検出システムは可能ですか?

Hruban がんは基本的に遺伝子の病気です。しかも特定の遺伝子変異ががんの原因です。ですから、遺伝子変異を早期に検出することで早期診断は実現しそうです。K-RAS遺伝子の変異は正常細胞にはなく、腫瘍細胞にのみ存在するはずです。したがって、感度が高い検査システムを開発できるようになると思います。既に我々はその試みに着手しており、近く非常に希望が持てる成果を発表できるはずです。

正常細胞は15年で転移性膵臓がんに

─膵臓がんの早期発見は大変困難ですが、最近の先生の論文で、膵臓がんでは正常細胞に最初の遺伝子変異が入り、他臓器に転移するまでに15年以上かかると報告されています。それだけの時間があれば、悪性化する前にがんを検出することができそうです。

Hruban それは日本から我々の研究室に2年間留学していた谷内田真一氏(現在、香川大学医学部消化器外科)の研究です。大変興味深く、また興奮すべき成果です。これは日米の医師と研究者の共同研究が大変良好な成果をもたらした例でもあります2)3)

 最も重要な点は、これが“分子時計”(molecular clock)と我々が呼ぶ新しい概念の提唱につながったことです。がんの遺伝子変異を包括的に解析していくことで、その細胞のがん化がいつの時点で始まったのか、さかのぼって調べることが可能になりました。細胞に遺伝子変異が起こり、それががんになり、転移し、患者の命を奪うことになりますが、その過程が10年以上に及ぶことが明らかになったのです。それは小さなPanINかもしれませんし、IPMNかMCNかもしれません。とにかく、患者が亡くなるまでに10年以上の時間がかかることが分かったのです。大変、重要な発見です。

組織学的アプローチは不滅である

─膵臓がんに遺伝的な多様性がはっきりしてくると、新薬の臨床試験の設計にも影響を与えるのではないでしょうか。

Hruban その通りです。現在、JHUの私の同僚であるMichael Goggins氏が、PARP(ポリ(アデノシン二リン酸 [ADP]-リボース)ポリメラーゼ)阻害剤の膵臓がんを対象にした臨床試験を計画しています。その試験に参加する患者は、同剤に感受性のあるBRCA2( breast cancer susceptibility gene II)遺伝子に変異を持った患者に限定されることになるでしょう。