“イレッサ”は日米・欧州で同時開発が行われ、厚労省は日本人に対する“イレッサ”の高い奏効率と奏効した患者の症状の軽快などの事実に基づきなんとかドラッグラグを無くそうと考え、国内での第1相、第2相試験及び、国外の安全性の成績に基づき早期承認に踏み切ったと推定される。EGFR変異は後日明らかにされたが、(4)、(5)については未だに解決されていない。少ない患者のデータに基づき新薬承認をすることがいかに難しいかを示した例と思える。

がん化学療法の歴史
 化学兵器として用いられた、ナイトロジェンマスタードが最初の抗悪性腫瘍薬として使用されたのは1940年代。20世紀終わりまでに数多くの殺細胞性抗悪性腫瘍薬が開発されヒトのがんの治療に用いられた。大雑把には、アルキル化剤、代謝拮抗薬、抗がん抗生物質、プラチナ化合物、ニトロソウレア、植物アルカロイド(タキサン、ビンカアルカロイド)、トポイソメラーゼ1及び2阻害薬の順に開発されてきた。ゲムシタビンやペメトレキセドなどのように最近開発された抗がん剤もあるが、20世紀の終わりから現在に至る時代は開発の主役が分子標的治療薬となり、新しい殺細胞性抗悪性腫瘍薬の比率は急に低下している。

 わが国でも1948年にはナイトロジェンマスタードが名古屋大学第1内科の勝沼精蔵博士のグループにより使用されたとする記録が残っている。日本で1951年に開発された最初の抗がん剤はナイトロジェンマスタード・Nオキサロイド(石館守三博士が合成)で固形がんに対しても用いられた。1953年には米国食品医薬品局(FDA)が抗がん剤としてメトトレキセートとメルカプトプリン(6-MP)を承認した。また、1957年にはCharles Heidelbergerがフルオロウラシル(5-FU)を発見、1959年にはナイトロジェンマスタードのmasked formのシクロフォスファミドがFDAの承認を得た。

 マイトマイシンCは1960年代始めに日本で発見され、1974年にFDAで承認された。これらの薬以外にも日本で開発された薬にはUFT、TS-1、ニムスチン(ACNU)、ラニムスチン(MCNU)、ブレオマイシン(BLM)、ペプロマイシン(PEP)、塩酸イリノテカン(CPT-11)、カペシタビン(XEL)、オキサリプラチン(L-OHP)などがある。オキサリプラチンは数奇な運命をたどり開発は主として海外で行われ、欧州で承認され大腸がんに対する標準的治療になってから日本に逆輸入された。

 非臨床での抗がん剤の開発と共に米国・欧州ではその科学的、倫理的臨床開発の体制が整備された。一方、わが国では臨床試験の重要性に関する認識が研究者、メーカー、規制当局のいずれにおいても甘く欧米に取り残されてしまった。1998年新GCP(医薬品の臨床試験の実施に関する基準)の施行後、慌てて体制を整えようとしたが特に研究者側の整備が遅れをとり、多くの抗悪性腫瘍薬は先に欧米で承認される、いわゆる“ドラッグラグ”が問題となっている。

 ドラッグラグを生ずる因子には3種類あり、(1)製薬メーカーによる国内の臨床試験の開始が遅い(2)研究者側の体制が不十分で試験開始の手続きや症例登録が遅い(3)規制当局による審査が遅いなどである。また治験に関わる費用が日本ではべらぼうに高いこと、グローバル試験の場合プロトコルの翻訳や英語によるコミュニケーションの問題も残されている。最近ようやく改善され始めているが、韓国のソウルでは病院同士の競争によって治験を含む臨床試験に対する体制の整備が急速に進み日本は置いてきぼりにされている状況である。

 基本的には、国内の大学での臨床腫瘍学に対する対応、関心の低さに根ざしていると思われる。“イレッサ”はその中にあって海外と同時期に第I相試験が国内でも始まり、グローバル試験としての第2相試験結果に基づき世界に先駆けて承認された特殊な例と言える。これが結果として物議を醸す原因となった訳で、皮肉としか表現しようがない。後で詳しく説明し議論をする。

肺がん化学療法の歴史
 筆者が国立がんセンター(現国立がん研究センター)に就職した1972年当時、肺がんに対して用いられていた薬剤はマイトマイシンCであった。今回は「“イレッサ”物語」のため非小細胞肺がん(NSCLC)の化学療法を中心に“イレッサ”にたどり着くまでの歴史に言及するが、その頃は何と小細胞がんに対しても主たる薬剤としてマイトマイシンCが用いられていた。1970年代にはシクロホスファミドとアドリアマイシン、ビンクリスチンのいわゆるCAV療法が小細胞がん化学療法の主役であった時代にである。もちろん当時の日本でも九州がんセンターの太田満夫先生はCAV療法についての研究報告をされていた。今から思えば国立がんセンター側の勉強不足以外の何物でもないが、振り返ると当時は何でも国産愛用の傾向が強かった。

 NSCLCに対してはマイトマイシンCをベースとして、これにアポトーシス促進を目的としたデキストランサルフェート(DS)とウロキナーゼ(UK)を加えた、所謂マイト・ディエス、ユーケー療法を行っていた。このアイデアは筆者のボスであった故仁井谷久暢先生によるもので今風に考えるとトランスレーショナルリサーチの1つと思われる。国立がんセンターの古い建物の1つである8号棟の一角で、浅草の縁日で買ってきた呑竜系(Donryu strain)ラットを用い、効果増強の研究をしていた。対照群であるマイトマイシンC単独投与群の前で仁井谷先生が「死ね!」と怒鳴っていた光景が思い出される。

 その頃の臨床では、マイトマイシンCを毎週投与していた。当然そんなに効くわけでもなし大半は無効の範疇に入る効果しかなく、2nd lineとしては全例テガフール(FT)投与を行った。いずれもプロトコルのない実地医療としてであり、カンファレンスではほぼ全患者に“「FT」飲ませています。”という状況で正直なところあまり面白くはなかった。

 筆者は1977〜1978年、米国テキサス州MD Anderson病院へ留学する機会があったが、その時は毎日カンファレンスに出席すると米国の臨床腫瘍医は専門誌であるCancer Treat. Rep誌(現在のJNCI誌。J Clin. Oncol.誌の創刊の5年前の話である)を徹底的に読み込み、現在進行中、および計画中の臨床試験について討論していた。わが国の“「FT」飲ませています。”とは大違いであった。これはいけないと思い帰国した。