むしろ、人種間で違いが発見されたら、それに応じた承認をするスタイルがあっても良い。違いを発見する方向のインセンティブを与えるような審査でないと、社会厚生上の効率が落ちるということもあります。

 現在の雰囲気だと、「日本と欧米の結果が違うので承認しません」になる可能性があるわけです。見つけた結果をうまく使って、例えば用法・用量を変えるとか、添付文書の書き方を海外とあえて変える。適応を変えることも考慮してもいい。「人種間、地域間の違いをできるだけたくさん臨床開発段階で製薬企業さん、見つけてきてください。むしろそれが日本人のためになります。地域間の差を見つけてくれた企業にはごほうびをあげます」という方針を表明して、臨床ガイドラインにもその旨を書くというのが筋が通った方法です。

ドラッグラグが大きいと安全な使用が可能に

小野 そもそも、ドラッグラグは絶対的な悪のように考えられていますが、一方で日本人にとって安全な薬の使用が可能になっているという側面もあります。

――どういうことですか。

小野 ドラッグラグがありますと、治験段階で認められなかった副作用の存在が先行する海外で明らかになってきますから、ドラッグラグがあれば、日本では安全な使用になるということです。私たちの分析でもドラッグラグが6年ある薬では、市販後の副作用で措置がとられるリスクが1/4に減るという結果が出ています。新薬に潜む危険性を先行した国々の患者さんたちが明らかにしてくれるから、日本人は比較的安全に、安心して使用することができるのです。

――ドラッグラグの克服が進むと、その危険を日本国民も負う必要が出てくる。

小野 ゲフィチニブの問題もそう解釈することができますね。もちろん、それが全てとはいいませんし、別の問題もたくさん指摘できますが、一歩引いて考えると世界に先駆けて承認されたことに伴う危険を日本人が取った例であることは確かです。

 薬の副作用による健康被害をゼロにできないというときに、国民がどのような判断を下すかが重要な問題になります。ある一定の患者を救うために、一定の犠牲を出すことを許容すべきかどうか。最近話題になったハーバード大学のマイケル・サンデル氏が言うような「社会的な分配」の議論にも行き着くことになります。

 限られた資源、機会を誰がどのように分配していくべきか。国民の健康にとって最適な薬の使い方、国民の厚生に貢献する薬とは何か。これまで国民はカヤの外に置かれ、ここを議論したことがないから、「副作用が出て、被害者が出た。かわいそうだから救済しよう」という意見は出ても、そこから先の建設的な話にたどり着かないのです。ドラッグラグとは、そうした議論が日本国内で殆ど空白であったことの証拠でもあるのです。