独立行政法人 医薬基盤研究所(大阪府茨木市)のグループが悪性胸膜中皮腫に対する遺伝子治療技術を開発、腫瘍移植マウスの生存期間を大幅に延長することに成功した。悪性胸膜中皮腫はアスベストによる人災の側面を持つ悪性疾患であり、日本国内には多数の潜在患者が想定されることから、有効な治療技術の確立が渇望されている。現在、臨床試験を計画しているが、課題は初期の臨床試験を開始するための研究資金の確保だ。


 悪性胸膜中皮腫は胸腔内に発症する悪性腫瘍の1つで、その原因のほとんどがアスベストの吸引とされている。アスベストはその危険性が認識されていたにもかかわらず、建設資材などに広く使われていたことから潜在的な発症リスクを持つ患者は多い。しかも潜伏期は約40年で、発症のピークは2030年といわれている。

医薬基盤研究所・免疫シグナルプロジェクトの仲哲治氏。

 そのリスクが海外では早期に認識されていたものの、具体的な対策が取られたのが遅く、これが患者を増やした懸念があり、現在公的な救済が議論されているウイルス肝炎問題に似た構造を持った問題といえる。診断が困難であり、手術適応となり難く、放射線照射や化学療法の効果もきわめて限られたものになっている。そのため、全く新しい発想による治療法の確立が求められている。

がん細胞の増殖を抑制し、アポトーシスも起こすSOCS3
 医薬基盤研究所基盤研究部免疫シグナルプロジェクトリーダーの仲哲治氏らが開発した新しい治療法は、“SOCS3遺伝子”をアデノウイルスの遺伝子につないだ組み換えウイルス(AdSOCS3)を、患者の胸腔に局所投与するというもの(図)。SOCSとは、suppressor of cytokine signalingの略。細胞の増殖を促すシグナル伝達系JAK/STAT系のサイトカインシグナル伝達によって誘導され、JAK/STAT系を阻害する。言い換えれば、JAK/STAT系のネガティブフィードバックを担う分子である。仲氏は大阪大学医学部に在籍していた1997年にSOCS遺伝子をクローニングし、nature誌に報告している。

 その後、SOCSがJAK/STAT系に加え、インスリンシグナル伝達、FAKシグナル伝達など様々な伝達阻害作用を持つことが仲氏らや海外の研究者らによって明らかになった。がん細胞の特徴といえば、増殖シグナル伝達の過剰であることだ。正常細胞でのSOCSの産生は一過性だが、がん細胞の中で恒常的に発現させれば、がん細胞の増殖を抑制できる可能性がある。しかも、SOCSにはアポトーシスを促すp53たんぱく質を安定化させる働きも見つかっており、がん細胞をアポトーシスさせる働きも期待された。

SOCSを過剰に発現させる、最適ながんが胸膜中皮腫だった
 SOCSを発見した仲氏はこうした作用から、SOCS遺伝子をがん細胞で恒常的に発現させるためには、がん細胞内にSOCS遺伝子の薬剤搬送システム(DDS)が必要と考えた。「その候補としては現時点ではアデノウイルスかレトロウイルスが最適」(仲氏)。偶然、同じ研究所に遺伝子治療用のアデノウイルスベクターを開発していた水口裕之氏(現在大阪大学大学院薬学研究科教授)が在籍していたことから、アデノウイルスベクターを採用した遺伝子治療薬の研究を進めることになった。

 多くのがんでの効果を期待できるが、とにかく有効性を証明できないと治療手段として認知されない。そこで仲氏が白羽の矢を立てた疾患が悪性胸膜中皮腫だった。理由は比較的早期に遺伝子治療を試みることが許されるうえ、胸腔内という局所に投与できるためだ。

 「普通のがんなら根治切除が選択される。しかし、悪性胸膜中皮腫には多くの患者で手術という選択肢がない。さらに、アデノウイルスを全身投与すれば有害な免疫反応が出る可能性がある」。胸腔内というきわめて限られた範囲で作用できる疾患であり、AdSOCS3の有効性を証明するためには好条件がそろった疾患という側面があった。

 しかも、中皮腫に対する既存の治療法の効果はきわめて限られたものである。つまり、悪性胸膜中皮腫はこの治療を試みる条件が揃っているといえる。