「記事は共同研究者、患者への冒涜であり看過できない」と述べる中村氏。

2つの事件で注目される
 がんペプチドワクチンはいろいろな意味で正念場を迎えているといえよう。実は最近、将来“がんペプチドワクチン開発史が書かれるとしたら、絶対に避けては通れない事件”がたて続けに起こっているのだ。1つは11月19日、米国のMedicare(高齢者向け国営保険)が前述の米Dendreon社の前立腺がんワクチン、PROVENGEの保険償還を推奨したと発表したことだ。この推奨をもとに来年、Medicareは最終判断を下す。Medicareへの償還が実現すれば、PROVENGEは米国だけで年間17.5億ドルを売り上げると予想されている。

 東京大学医科学研究所特任准教授の上昌広氏(先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門)は「PROVENGEの承認とMedicareの償還対象にする動きは、米国ががんワクチンを含む医療分野を成長戦略の柱と位置づけていることの表れ」と指摘する。上氏はこうした方針の背景にはインドや中国などの追い上げが著しい製薬産業の構造変化が影響していると見る。「欧米の製薬先進国にとって、付加価値が高い薬剤へのシフトが急務。そのキーワードは個別化医療に適した治療薬。がんペプチドワクチンはその1つとみることができる」。さらに同氏は「昨年(09年)9月、FDAががんワクチンの治療効果判定ガイドラインを公表したが、これもがんワクチンの国際標準の取得を狙った国家戦略の一環」と読む。

 もう1つの事件は、朝日新聞が10月15日に報道した記事に端を発する一連の騒動だ。記事では、がんペプチドワクチンの開発を進める東京大学医科学研究所教授の中村祐輔氏らが、ワクチン接種による有害事象との可能性が拭えない食道静脈瘤からの出血を、臨床研究を実施する医療機関に知らせなかったとして、臨床研究の倫理性に疑問を呈している。

朝日新聞社への賠償提訴を発表する中村氏(左から3人目)とオンコセラピー・サイエンス関係者。

 中村氏とワクチンの事業化を進めるベンチャー企業のオンコセラピー・サイエンス(OTS、神奈川県川崎市)は、出血があったのは、東大医科学研究所が独自に行った臨床研究(VEGFR1由来ペプチドを使用)で、59大学を中心としたがんペプチド臨床研究ネットワークの研究(PEGASUS-PC試験、VEGFR2由来ペプチドを使用)で、別の組織であり、研究所の独自研究で生じたイベントをネットワークに報告する義務はなかったなどと反論。さらにほかにも記事には事実誤認があるとして、名誉毀損の損害賠償と訂正・謝罪記事の掲載を求め12月8日に朝日新聞社を提訴した。

 中村氏側と朝日新聞の主張の隔たりは大きいが、皮肉なことに今回の一件でがんペプチドワクチンに対する関心が以前よりも高まった感もある。「東大医科研の単独研究と混同された」と中村氏とOTS社が主張するPEGASUS-PC試験は、進行膵臓がんを対象に行われているがんペプチドワクチンとゲムシタビン(GEM)の併用とGEM単独とを比較するランダム化第2相/第3相試験で、主要評価項目をOSとしている。09年1月に開始し、予定よりも3カ月早く10年1月に全症例150人の登録を終了した。この試験の中間解析を実施していた効果安全性評価委員会は、この騒動の最中の11月13日に「試験継続」を勧告している。一部には、ワクチンを投与された被験者の生存期間が予想よりも延び、「有効中止」の勧告が出るのではないかと期待する声もあったが、実際は、予想の範囲内の結果だったということだ。

 がんペプチドワクチンが期待されているような第4のがん治療手段となるかどうか、その答えはまだ出ていない。国立がん研究センター理事長の嘉山孝正氏は「マスコミががんペプチドワクチンをあおり過ぎている。もっと冷静に研究の進展を見守るべき。脳神経外科医である自分としては、最終的に無効ということで医療現場から消えた脳循環改善薬のようにならなければ良いと願っている」と語る。嘉山氏は悲観的過ぎるのかも知れないが、少なくともがんペプチドワクチンにはそうした悲観論を吹き飛ばすだけの結果が求められていることは確かだ。

[参考文献]
(1)Cancer Immunol Immunother 2010;59:1001-9