病理医の力を活用する
 術後に使って本当に効果があるのか。これを検証するプロトコールの作成に、渡辺は取り掛かった。このプロトコールのポイントは2つあった。病理学的検索により腋窩リンパ節転移がない(n0)患者を対象とすること、さらに比較対象として当時国内で認可された、世界的には標準レジメンとされたCMFを選んだことだ。

 n0であれば再発のリスクは少ない。患者はそう説明されていたが、中には再発する患者もいる。そこで、n0の中で再発リスクが高い、つまりhigh riskであると病理医が診断できた患者を選んで、試験に登録することにした。当然のことだが、病理医の判断がぶれていては話にならない。

 渡辺は癌研会附属病院(現、癌研有明病院)の乳腺病理の専門医だった坂元吾偉のもとを訪問し、協力を要請する。坂元ら病理医はその目合わせのために勉強会を開催し、診断の精度を高めて、試験に参画した。「病理医たちは休日に国立がんセンター中央病院の会議室にやってきた」と坂元は振り返る。「臨床試験に病理医が参加していなくても不思議ではないというのが当時の風潮だった。それを変えたいという気持ちが病理医の間では強かった」。

 坂元ら、病理医らは5回のスライドカンファレンスを実施、再発リスクの評価は核異型度と核分裂像の組み合わせによる3段階の核グレードの基準にすることに決めた。これは結果的に大変よかった。後年、スイスの早期乳がん診療に関する国際会議St.Gallen乳がん会議が再発リスクの評価に核異型度を入れたが、「日本の病理医は、N・SAS-BCで予行練習していたので、まったくあわてないで済んだ」と坂元は語る。

 n0なのになぜhigh riskなのか?この患者の疑問を晴らさなければ、試験に参加してもらえない。そこで当時、国立がんセンターに在籍し、この試験に関わった佐藤恵子(現、京都大学大学院医学研究科准教授)は図解入りで試験の意義を説明するパンフレットを作成した。臨床試験に際して参加する患者に詳細な説明文書を作成した日本で最初の事例となった。

CMF vs UFTをめぐる論争
 CMFを比較対象に選んだ目的は、当時最も標準的なレジメンと比較しなければ意味がないという渡辺の信念によった。「どちらがいいか専門家の間でも意見が分かれる治療どうしを比較して初めて、意味のある結果が生まれる。現在でもこのレジメンを選んだことは間違いと思っていない」と渡辺は語る。

 比較すべき標準治療と試験治療を設定する際、専門家でもどちらの治療が優れているか、意見が分かれるような状況を「Clinical Equipoiseが成り立つ」という。渡辺は学会などでN・SAS-BC01試験の設計について質問されるたびに、この説明を繰り返した。

 別の問題も生じた。CMFは注射で6カ月の治療期間に対して、UFTに割り振られると経口だが2年ほどかかる。こう説明されると臨床試験への参加をためらう患者も少なくなかった。それはとりもなおさず、協力した医師の負担増となった。

 しかも、N・SAS試験への参加は当時の医師や病院の事務課職員にとっては、日常業務に割り込んできた雑事という性格も持っていた。それまでの臨床試験は患者に知らされないまま登録されることがままあった。しかし、N・SAS試験は、患者に試験の意義を理解してもらい、同意してもらうことを鉄則としていたため、その時間も当時としては異例であった。渡辺や同僚であった勝俣範之は、ロールプレイを援用して患者に説明し、同意を得るトレーニングを行っていた。

 さらに、患者団体との論争という思わぬ事態にも遭遇した。

 1996年に症例登録が始まった当初は順調な滑り出しだった。しかし、徐々にそのペースは落ちていく。「世界的な標準治療と日本のローカルな治療との比較は非倫理的」という患者団体の主張が新聞に紹介されるたびに、そのペースは落ちた。「厚生省班研究」といういわば国家主導で始まったプロジェクトの主体が民間企業に移管され、市販後臨床試験となるとさらにそのペースは落ちた。阿部は回想する。「それまでは国立がんセンターと総長という名前が入った封筒で、協力要請の手紙が届く。そうすれば、医師らは無視するわけにはいかない。しかし、2年たったら、大鵬薬品工業の担当者が行く。この差は大きい。担当者たちの苦労は半端なものではなかったはずだ」。乳がんでは渡辺が、また大腸がんでは吉田が、症例登録を呼びかけて、全国の施設を回った。

日本の抗がん剤試験の礎を作った
 吉田は笑いながら言う。「そうした施設に行くと最初は歓待してくれるんだが、症例登録のお願いになると、話をそらそうとした」。

 1300例を目標にしたN・SAS-BC01試験の症例登録は前述の通り733例にとどまった。そのため、結果の評価ができるまでに予定以上の時間がかかり、最終解析結果がでたのは2007年となった。乳がんに加え、直腸がん、そして1年遅れて開始されていた胃がんでもUFTの術後補助化学療法の有用性が確認された。症例登録をめぐる関係者の苦労も多く、UFTの勝利はほろ苦い勝利でもあった。

 しかし、N・SAS試験の意義は、1つの薬剤の有効性が証明されたという以上の足跡を日本のがん医療に残した。客観的な症例登録、文書を通じた患者への入念な説明、病理医の参加、製薬会社から独立したデータセンターの活用などが、この試験を通じて、日本に導入されたのだ。日本の抗がん剤の臨床研究は、この試験の以前と以後では明らかに質が異なるものへと変貌し、現在に続いているといえる。 (敬称略)