写真7:自治医科大学分子病態治療センター教授・東京大学大学院医学系研究科ゲノム医学講座特任教授の間野博行氏

個別化医療の試金石はEML4-ALK阻害剤
 今回のASCOで最も注目された薬剤はPfizer社のPF-02341066(crizotinib)だろう。この薬剤の標的は、anaplastic lymphoma kinase(ALK)。韓国Seoul National University College of MedicineのYung-Jue Bang氏が発表した、融合型がん遺伝子EML4-ALKを有する非小細胞肺がん(NSCLC)を対象とした第II相試験では客観的奏効率(ORR)が57%、病勢コントロール率(DCR)が87%ときわめて高い数値を示した。

 この薬剤は同社ががん遺伝子c-metの阻害薬として開発していたものだが、自治医科大学分子病態治療センター教授の間野博行氏が2007年に発表したEML4-ALK遺伝子の活性に注目し、検討したところ強力なALK阻害活性を発見し、ALK阻害剤という新しい概念のもとに開発方針をシフトした。このエピソードは田村氏が指摘する分子標的治療薬のPOCの重要性を示すものとも言えそうだ。

 非小細胞肺がんの4〜5%前後の症例において第2染色体短腕内に微小な逆位が生じ、その結果受容体型チロシンキナーゼ ALK の細胞内領域が微小管会合たんぱく質 EML4 と融合して、新しい活性型融合キナーゼ EML4-ALK が生じるというもの。この発見を間野氏が科学雑誌Natureに報告したところ、2007年度の最も重要な論文に選ばれた。

「がんは遺伝子型で細分化できる」
 NSCLCにおいてEML4-ALK融合遺伝子陽性が占める割合は前述のように4〜5%に過ぎない。しかし間野氏は希少疾患に対する治療薬の開発を念頭において、研究を進めたわけではない。ここに間野氏の発見を読み解く本質的なメッセージがある。

 「おそらく現在、1つのがんと見られている疾患は」と同氏は語る。「10〜20種類の異なった遺伝子変異によって生まれた疾病の集合体。存在割合5%というのは少ないのではなく妥当な線だと思う」。

 しかもNSCLC全体を見れば4〜5%だが、50歳未満の患者に限定すると35%に達する。言い換えればこの遺伝子は比較的若いNSCLC患者の原因遺伝子になっているといえる。

 間野氏によれば、おそらくがん遺伝子には2つのタイプがある。たった1つで細胞のがん化を進めるタイプと5種類以上にがん遺伝子が協働してがん化を進めるタイプだ。

 後者は、1つ1つのがん遺伝子はがん化の働きが弱く、変異が蓄積して初めて細胞をがん化できる。高齢化した後で出現するがんの多くはこうした弱いがん遺伝子変異の経年的な蓄積によって引き起こされている。しかし、慢性骨髄性白血病(CML)の原因遺伝子であるBCR-ABL やEML4-ALKは1つでがん化ができる強力ながん遺伝子ということができる。つまり自動車のアクセルに相当する遺伝子と言うことができる。単独でがん化を推進できる反面、この遺伝子の働きを確実に止めることができれば、がんを強力に押さえ込むことが可能になる。

 がん遺伝子といえば、点突然変異や増幅などによって生じたものが主流でCMLのBCR-ABLのような染色体の転座によって生じた融合遺伝子はきわめて少なかった。そのため、BCR-ABLのようながんの原因は白血病に特徴的であって固形がんには存在しないのではないかという指摘すらあったのだが、EML4-ALKの発見によってそれが誤りであることが明らかになった。「今後は遺伝子転座が原因となったがんが多数見つかってくると思う」と間野氏は語る。

“横綱がん遺伝子”が本当の標的
 分子標的治療薬によってがん細胞内のシグナル伝達経路を抑えても、ほかの経路を迂回してシグナル伝達が行われてしまうと指摘されている。それが分子標的治療薬の限界というわけだ。しかし、EML4-ALKのようなアクセル遺伝子を最初に抑えることができればそのような迂回路は原理的に存在できないことになる。

 間野氏は海外で講演する場合にこのようなアクセル遺伝子を“横綱がん遺伝子”と呼んでいる。一口にがん遺伝子といっても番付があり、それぞれ地位が異なる。横綱級のがん遺伝子を倒すことができれば、がんを克服することが可能だ。一方で下位のがん遺伝子を止めても、代替遺伝子、代替経路が出現してしまう。

ブレーキを修正してもがんは止められない
 近年、がん化とエピジェネティクスとの関係が注目されている。がん抑制遺伝子の働きがメチル化などの修飾を受けて、転写されないというものがほとんどだ。言い換えるとブレーキの効きが悪くなって暴走している車に近い。こうしたブレーキの修理は方法の1つだが、アクセルを踏み込む状態が続いている状況ではブレーキの修正に限界があることは明らかだ。

 かつて、がん抑制遺伝子のp53遺伝子を患部に注射してがん化を止める臨床試験が進められたが、いずれも失敗に終わっている。治療薬の開発を目指すならば、イマチニブがやってみせたようにアクセル遺伝子、横綱がん遺伝子を止める方がはるかに期待できる。

 「ヒトの遺伝子は約24000であるが、各細胞ごとで転写されている遺伝子は6000程度。EML4-ALKクラスのがん遺伝子の数も有限でせいぜい50〜100くらいではないか」(同氏)。

 つまり、転座型アクセル遺伝子探しは、決して終わりのない遺伝子ハンティングではない。

 分子標的治療薬の開発は踊り場に来ている。しかし、それは新しい成功に向けた予兆でもあるようだ。