がんでは開発中の新薬の7割が分子標的治療薬であるといわれている。分子標的治療薬の特徴は、同じ臓器がんでも標的分子が発現しているかどうかで感受性が決まる点にある。同じがんでも一部の患者にしか奏効しない。そのため薬剤の多くが稀用薬となる運命にある。分子標的治療が主流になるのである以上、現在の新薬開発の仕組みも見直す必要があると中川和彦教授は指摘する。(聞き手:小崎丈太郎=本誌編集長)


中川和彦(なかがわ・かずひこ)氏
1957年生まれ。83年熊本大学医学部卒業、86年国立がんセンター研究所薬効試験部リサーチレジデント、87年に同内科シニアレジデント、90年に大阪府立羽曳野病院第二内科。97年近畿大学医学部腫瘍内科講師、2003年同助教授、07年教授に就任、現在に至る。専門は肺がんの早期診断、固形がんの薬物療法、新抗がん剤の臨床試験など。(写真◎宮田 昌彦)

――最近、臨床研究の分野で韓国や中国が激しく追い上げているという話をよく聞きます。
中川 特に、韓国ではhigh volumecenterと呼ばれるような大規模ながん専門病院が相次いで立ち上がっていることから、日本でもそのような大規模センターを作ったらどうかという待望論すらあるようです。

 質が高い臨床データを短期間で収集するために、臨床試験を特定の医療機関に集中させる方法は確かに有効だと思います。日本でも東京や大阪など大都市圏にいくつかのhighvolume centerが設置されることは良いことだと思います。しかし、そこで問われるべきは、「それで果たして国民は幸福なのかどうか」ということだと僕は思います。

 ソウルにはサムスン病院、国立ソウル大学や延世大学に付属したがん専門病院が相次いで建設され、がん医療の水準を押し上げています。でも、質が高いがん医療がソウルに集中してしまうというジレンマに直面することになります。首都から離れた住民は十分ながん医療を受けることが困難です。おそらく、そのようなけた違いに大きながん医療機関があれば、近隣の病院のがん医療は衰退するはずです。

“韓国が肉薄”は杞憂日本がまだ勝っている
――今後の臨床試験は日本を素通りして韓国や振興政策を取っている中国に行ってしまうという心配はありませんか。
中川 韓国が集約化によって臨床試験の質を高めることに成功しているかといえば、まだまだ課題を残しているということも厳然たる事実です。臨床試験の症例登録に伴い適格基準がどれくらいきちんと守られるかどうかは、臨床試験の質を端的に示す指標といえます。

 進行非小細胞肺がんを対象にある経口分子標的治療薬の2nd lineの第3相の臨床試験が国際共同試験として始まっていますが、そこでこんな経験をしました。第1相試験は韓国と米国の共同で行われたのですが、韓国での登録症例の中に酸素吸入を必要とするような非常に進行した状態の悪い患者さんが含まれていたのです。明らかに進行しすぎで、登録症例の適格基準からは逸脱しています。日本国内で実施される臨床試験ではそのようなことはまずない。

 少なくとも肺がんや日韓研究で歴史がある胃がんなどでは、臨床試験の質で日本が韓国に劣っているということはないと思います。

―― high volumeにすれば臨床研究の効率は上がる。でも効率ばかり追求してはいけないということですか。
中川 非効率を甘受すべきと主張しているつもりはありません。臨床試験を行う場合に、日本は全国に散らばっている病院と個別の契約を結ぶために製薬会社の担当者が日参するという話もあります。時間も労力もかかりますし、交通費だけ考えても無視できない費用です。そこは、絶対改善していかなければなりません。

 日本の臨床試験の質は低くないという話をしましたが、より正確に言うと日本特有の極めて厳しいGCP(「医薬品の臨床試験の実施の基準」)を遵守しているために、世界で最も質が高い臨床試験を行っているといっても過言ではありません。むしろ高すぎる状況です。高止まりした質を維持するために、試験のコストが世界でも最も高くなってしまった。むしろこちらの方が問題です。

――日本のGCPが大変厳しいとのご指摘ですが、「緩和すべき」とお考えでしょうか。
中川 現在日本のGCPの運用においては、つまり、どこにも文書化されたものは無いのですけれども、全生存期間(OS)を主要評価項目とする大規模臨床第3相比較試験(開発治験)においてもすべての症例についてのSDV(原資料との照合・検証)が要求されています。これは製造販売後臨床試験における第3相比較試験においても求められており、モニタリングにかかる経費を膨大なものとしています。これまで長年培われたオーバークオリティーの原則が今も日本の臨床試験を柔軟性に欠けたものにしています。主要評価項目にマッチしたモニタリング体制に変更すべきです。また、製造販売後臨床試験における当局の査察項目においても、不必要に細かい事象について調べられるのではなく、求められるべき質の確認にとどめられるべきです。

―― 一定の質を維持しつつ効率化も追求しなくてはならない。どうすればいいですか。
中川 施設分散型の日本においては、臨床研究グループを活用することが一番現実的だと思います。私自身、WJOG(西日本がん研究機構)にかかわっていますので、WJOGを例に話を進めてみましょう。

 例えば、ある製薬会社が肺がんの臨床試験を希望した場合に、WJOGに話をしてくれれば、まず呼吸器委員会で議論します。そこで「臨床試験(治験を含む)を行う意義がある」と判断した場合は、参加施設を募り、費用がどのくらい必要かも計算して、会社側に提示します。現在は、各病院と契約して費用もまちまちとなっています。これが日本国内で臨床試験のコストを押し上げている要因の1つです。そこでWJOGでは、参加施設と事前に協議を行い価格を統一できていればいいわけです。

 また国際共同試験で日本がイニシアチブを取りやすくするためにも各病院が個別に参加するよりも大同団結して、臨んだほうが都合がよいという側面も見逃せません。この点は大変重要であって、われわれに試験を依頼する日本の製薬会社やグローバル企業の日本支社にとってもプラスなはずです。

――WJOGは日本臨床腫瘍研究グループ(JCOG)とどこが異なるといえるでしょうか?
中川 JCOGは厚生労働省がん研究助成金や厚生労働科学研究費補助金を主体とする公的研究費によって運営される、多施設共同研究グループです。がん診療連携拠点病院を中心とする医療機関の研究者よりなる14の専門分野別研究グループと各種委員会、データセンター、運営事務局から構成されていますが、法人格のない、任意団体です。

 WJOGはデータセンター、事務局、3つの専門分野別研究グループと各種委員会から構成されており、その構成要素全体をNPO化している唯一の臨床試験グループです。個人会員によるメンバーシップが確立されており、法人格を有することから製薬企業や臨床試験実施機関などと契約を締結することが可能です。通常の企業と同様に事業目的に合致するものであれば収益事業を行うことができますが、その収益を分配することはできません。収入の多くは、企業からの寄付と収益事業による収入であり、公的支援はごく限られております。JCOGとWJOGとの機能的な棲み分けは単純ではありませんが、JCOGはファンドの面から公的な性格が強く、WJOGはNPOです。JCOGは個別の製薬企業の利益となる臨床試験には慎重ですが、WJOGは定款に記載された設立目的と事業項目に合致するものであれば、企業の営利に束縛されません。肺がんの場合ではWJOGに加盟している中心施設のほとんどがJCOGに参加しており、肺がん領域におけるJCOGの役割とWJOGの役割を分業し合っています。

患者選択を厳格化すれば臨床試験のコストは増大する
――効率は新薬開発コストに直結する問題というわけですね。コストをそこまで重視するのはなぜですか。
中川 新しい治療薬をいかに迅速に臨床現場に導入するかは、がんの薬物療法にとって実に大きな命題のわけです。製薬企業が新薬開発の成功確率を高くするためにはより多くの治療薬候補をスクリーニングし、より大規模な臨床試験を行わなければなりません。そうなると、薬剤開発コストは増加しそれが薬価に反映されることになります。また、分子標的治療薬は本質的に標的分子を有する特定の集団に効果的で、有効集団を選別するための検査技術の開発も必要となります。できる限り医療費を抑制するためには基本的な薬剤開発コストの削減に努める必要があります。

――ドラッグ・ラグの問題にかかわってくる。
中川 ドラッグ・ラグの問題は、つい1〜2年前とは様相が一変しています。(独)医薬品医療機器総合機構は審査スピードを短縮していますし、承認申請にかかわる重要な国際共同試験には日本も参加すべきと強力に後押しをしています。ですから、過去数年間にわたって議論されてきたドラッグ・ラグという問題は解決しつつあるといってもいいでしょう。

 それでも、世界の製薬会社、日本国内の製薬会社もそうですが、新薬の臨床試験を米国や欧州を優先させてしまうという問題は残ります。まず欧米で申請して、日本はその後です。なぜならば日本の規制当局は欧米での審査結果を見て判断する傾向にあるからです。また、日本での薬価が欧米に比べて低く抑えられる傾向にあり、日本市場が最優先で承認申請するほどの魅力に乏しいと、彼らが見ているからにほかなりません。