米国ではロボット手術が標準手技
 ロボットの商品名は「ダヴィンチ」。この手術用ロボットが構想された契機となったのが1975年まで続いたベトナム戦争だった。野戦病院で遠隔手術を行うことを目的に米国内で開発が始まったが、開発は終戦後も続けられ、米国食品医薬品局(FDA)がRALPを承認すると平時の全米国内に急速に普及した。06年のRALP施行件数は前立腺全摘除術の40%に相当する30,000件を超え、翌年には全体の63%がRALPとなった。米国では前立腺全摘除術に腹腔鏡下手術は殆ど行われていないため、RALPが標準的な術式となっている。


前立腺全摘除術

一般的な手術適応症例は、余命10年以上が見込める75歳以下の全身状態の良好な患者。理想的な適応基準はPSA<10ng/ml、Gleason score7以下、T2以下。この基準に従うと、5年PSA非再発率は70〜80%、10年非再発率は50〜70%。術後には放射線治療や内分泌療法を併用することができる。術式には開放術(恥骨後式根治的前立腺全摘除術、会陰式根治的前立腺全摘除術)と腹腔鏡下手術、ロボット支援手術がある。

 Intuitive Surgical社の資料によると、09年6月時点で米国では916台、欧州では221台が稼働している。アジアで導入されたダヴィンチは56台だが、日本の6台に対して、中国が13台、韓国は20台を数え、もはや両国が日本を凌ぐロボット手術先進国となっていることがわかる。

 RALPの利点を吉岡氏は「開放手術と同じ感覚で手術ができ、低侵襲で患者の回復も早い」と説明する。従来の腹腔鏡下前立腺全摘除術は遠近感のない2次元画像を見ながら長い鉗子を操作することになり、難度が高い手術。手技の習得は大変難しい。ダヴィンチでは、自由度7と高い鉗子を操作し、「自分の手指を用いて手術操作を行っているかのような直感的操作が可能だ」(吉岡氏)という。

 無視できないもう1つの利点は縫合の正確さ。膀胱と尿道の縫合が正確で、水も漏らさないように行われることから、カテーテルを3〜5日間で抜去することができる。現在、日本のRALPは実験医療の側面があることから、早期退院は行われていないが、米国では、開放手術では3〜4日間入院するところを1泊2日で退院させてしまう。仕事や社会活動までの復帰期間をも考慮すると、開放手術に比べ数日から数週間早く復帰できることになる。当然、痛みも瘢痕も少ない。尿調節機能の回復も早い。

 医師にとって最も大きな利点は習得期間の短さだ。RALPのマスターには腹腔鏡の使用経験は不要で、開放手術から容易に移行できる。逆にいうと腹腔鏡下手術が容易にできる手術ではダヴィンチの出番はない。狭い小骨盤内で行う手術であることゆえに前立腺全摘除術は最もダヴィンチに適した手術の1つといえる。

「本格的な普及期に入る」と語る主任教授の橘政昭氏。

薬事承認で普及が加速か
 手術用ロボットはRALPのほかに心臓や婦人科腫瘍の手術にも使われており、東京医大でも心臓外科グループが中心となって導入を進めた。同大泌尿器科では06年3月にダヴィンチの使用ライセンスを取得し、同大学の倫理委員会の承認を得た。RALPは08年10月に高度医療の「第3項先進医療」の承認を受けたが、それまでは手術の費用は研究費でまかなった。「本当に血が出るような苦労をして捻出した」と橘氏は振り返る。

 第3項先進医療とは薬事法上の未承認または適応外使用である医薬品や医療機器の使用を伴う医療技術を対象とし、将来の薬事法による申請につながる科学的な評価可能なデータの迅速な収集を目的にした制度で、先進医療費用として患者自己負担72万円、保険との併用請求が認められた。

 橘氏が示した72万円の積算根拠は、次のようになる。ダヴィンチの購入経費は248万ドルで約3億円、メンテナンス費用は年間2000万円。ダヴィンチの減価償却期間を5年とすると、5年間の費用は合計4億円。年間使用例を250例と仮定し、5年間で1,250例。4億円を1,250で割ると1例32万円となる。そこに消耗品費用である40万円を加えた金額が72」万円だった。

 橘氏は当初自己負担72万円という金額から、「希望する患者は少ない」とみていた。しかし、1年を経過し、東京医大病院では86例と同氏の予想を超える希望者が出た。同じ第3項先進医療として認められた九州大学病院で8例、金沢大学附属病院で18例だった。

 09年9月10日に、厚生労働省の薬事・食品衛生審議会医療機器・体外診断薬部会が、一般消化器外科、心臓外科を除く胸部外科、泌尿器科、婦人科の領域におけるダヴィンチの新機種の製造販売を承認した。「薬事の承認を取得できたことから、日本も本格的なロボット手術の普及期に入る」と橘氏はみている。同大学では、既に2台目のダヴィンチを注文している。


本格普及に備えトレーニングセンター建設を計画
 ロボット手術が普及すると開放手術はなくなるのか?

 最近、橘氏はこんな質問を受ける機会が増えたという。そのようなとき、同氏は「開放手術がなくなることはないが、前立腺全摘除術の標準手術はロボットに移行する」と答えるという。「RALPが良いところは、ほかの医師と術野の情報を共有できるところ。第一助手でも術野が見えない従来の手術とは際立った利点で、教育効果も期待できる。手術は名人芸の要素があるが、本来は誰が執刀しても一定の効果が期待できる手術が良い術式であり、ロボットは理想に近い手術ができる」と語る。

 高度医療の対象になったものの、年間250例以上で使用しないと赤字になるが、橘氏はそうした心配は杞憂だと指摘する。つまり将来、手術件数は確実に増加するというのだ。東京医大では心臓と婦人科腫瘍の手術が実施されているが、将来はこれら以外に膀胱がんに対する膀胱全摘除術や腎がんの腎部分切除などに適応が広がるとみている。「前立腺全摘除術が手技として確立した後は、膀胱全摘除術をと思うのは自然な展開。ただし、自然排尿型尿路変更という膀胱特有の手術があるので、これを日常的にロボットで行うかどうかはなお検討を要する」と語っている。なお東京医大では既に試験的にロボット支援膀胱全摘除術を2例ほど行っているという。

 泌尿器よりも後になりそうだが、消化器も有望な領域だ。生理的な手振れが原因で血管を傷害するなどの心配がなく、リンパ節郭清など細かい操作を高い精度で行えることから、将来は難度が高い手術に利用される可能性が高い。

 習熟が容易といっても、トレーニングが必要であることは言うまでもない。国内のパイオニアの1人である吉岡氏は渡米してトレーニングを受けたが、普及期となれば、いちいち渡米してトレーニングを受けることはできない。東京医大ではそのためのトレーニングセンターの建設を計画中で、昨年6月には私立大学研究設備補助金を文部科学省に申請し、既に採択の内定を受け、本年3月末の稼働に向け準備が進んでいる。実験動物を飼育する施設も構想中で、将来はロボット手術の技術開発も可能な施設とする計画だ。出身校を限定せずに、広く希望者を受け入れる予定という。

 「体外衝撃波結石破砕術(ESWL)も日本に導入が始まった当時は3億円と非常に高価な機器だったが、現在は価格が10分の1になって全国的に広く普及している。それと同じ軌跡をたどっていずれ、手術用ロボットが珍しいものでなくなる時代が来る」と橘氏は展望している。