坂野 真理 氏 Mari Sakano, MD
年齢 : 31歳(2009年10月現在)
現在の職業 : 医師
現在の勤務先 : 医療福祉センター倉吉病院
出身大学・学部・卒業年度 : 日本医科大学医学部・平成15年度卒
臨床専門分野 : 小児科、精神科
+αの道に入る前の臨床経験年数 : 2年
+αの道に入った後の臨床経験年数 : 1年7ヵ月
+αの道に入った際の年齢 : 27歳
+αの道の種類 : 政治・政策

何故+αを選んだのか

 もともと医学部での教育に疑問を持っており、学生時代から行っていたさまざまな活動を通じて医療政策に興味を持っていました。

 そもそも私は、中学生の頃、医者にあこがれて以来、医者になるためにひたすら勉強をして大学へ入ったのですが、大学生活は私の理想とはかけ離れていました。6年間高い授業料と時間を費やしても、大学を卒業しただけでは医者として即戦力になりませんし、私が希望する在学中の臨床留学や医療の社会的側面を学ぶ体験などの機会は、当時の大学にはありませんでした。さらに、6年間を通じて「良い医師」になることについての考察を深める機会が非常に少ない点には疑問がありました。

 そのような悶々とした日々の中で、私の人生の転機となった出会いがありました。それが、医学部に限らない首都圏の学生たちでつくる学生団体「Platform」です。この団体で地域活性化の活動を始め、大分県や鳥取県をフィールドに、「地域社会はどうすれば良くなるのか」を真剣に考え、現場で様々な方とお話をしていく中で、社会を変えていく視点や、社会のために働く視点を与えられました。自分も必ず「社会を良くする」という視点で働きたい、と強く感じたのです。

 その経験を生かし、医学教育も学生の立場でも変えていけるものは変えたいと思い、大学では学生教育委員会というものを作りました。そこで、学生の意見を大学側へ取り入れてもらうための取り組みを行い、ジョイントミーティングという大学の教育委員会との話し合いの場をつくるといった活動を行いました。

 そして、5年生から6年生にかけて、スウェーデン、イギリス、アメリカの3カ国で臨床実習をしたのですが、このとき3カ国の医学教育に関する制度の違いに触れ、基礎医学教育の幅広さや、臨床教育の「臨床性」の高さを目の当たりにしました。

 欧米と比較すると、例えば、BSLでの医学生の権限に法律が関わってきますし、ただでさえ臨床が人手不足の中で先生方にいかに教育に力を注いで頂くか、という部分に関しても行政の対応が必要になってきます。つまり、先生方が努力してくださっても、制度を変えないとどうしようもない部分もあるのだと認識しました。

 卒業後、小児科医として都立墨東病院のNICU、東大病院、亀田総合病院に勤務しました。新生児医療の矛盾や医療ミスの現場、小児救急の問題などに直面し、そのたびに悩む患者さんや医療スタッフ、双方の姿も目にしてきました。そして、医療現場で起きているこのどうしようもない現状は、現場の一人一人の努力で解決することには限界があり、やはり、卒前教育と同じく、制度やシステムそのものを変えなければ、現場の課題は変わらないのだと感じました。

 しかし、制度やシステムは、単純にひとつひとつのパーツをバラバラにして、それぞれを変えただけでは意味をなしえず、医療のみならず、福祉やその他の社会保障分野全体を見渡したうえで、医療を位置づけての作業が必要ということに気づきました。

 医療現場の問題は、制度を施行する行政だけではなく、むしろ制度の骨格となるべき「理念」の部分までを見据えた対応が必要であり、それはまさに政治の役割であると考えています。

どのようにして+αの道に入ったのか

 友人が松下政経塾を受験したという話を聞き、そういうところがあるなら、私も受験してみようかという気になりました。

 説明会では、在塾生、卒塾生の講演があったのですが、いずれの方も「政治家になりたい」ではなく、「社会を変えたい」というその志を中心とした話されており、非常に共感しました。説明会には一度行ったのち、受験したところ、驚いたことにとんとん拍子に合格することができました。

 臨床を一時辞めることについての葛藤はありました。政経塾の試験を受けていた頃の勤務先は、24時間3次救急を受ける病院であり、NICUも併設していました。そんな忙しい中での業務に、私も心身共に疲れ果てており、一人の医者がいなくなることの影響の大きさも感じていました。また、外来で見ていた患者さんたちの診察を継続できないことに申し訳なさも感じました。(ちなみに、罪滅ぼしではないですが、政経塾に入った後も、ボランティアという形で、政経塾の寮の近くの病院で当直業務のみを月1、2回続けていました。)しかし、やはり臨床で毎日このまま同じ業務を繰り返していても、自分の思いを実現する道が開かれるとは思えず、予想に反して政経塾に合格したことで、目の前にその道が開けたように感じました。そして、ここで覚悟を決めて学んで行きたい、という気持ちが強くなりました。

+αの道はどうであったか、何を学んだか

 政経塾というと政治を教えているようなイメージがあるかもしれませんが、政経塾は、基本的には、人間や社会に対する幅広い研究を自習形式で実践し、自らの「志」を固めていく場所です。塾の寮が神奈川県茅ヶ崎市にあるのですが、塾生はこれまでのキャリアを辞めて、寮生活を過ごすことになります。塾自体は、3年間の研修期間がありますが、1年目にはその寮で生活し、朝6時に起きて掃除やランニングをするという研修から始まります。決められたプログラムの中で様々なことを学ぶ機会がありますが、座学では、外部から大学の先生等を講師に迎え、宗教哲学、国際政治、政治史などの歴史などを学ぶほか、松下幸之助の哲学を学ぶ講座や、著名人の方の話を聞く機会も多くあります。また、日本の伝統文化を学ぶ機会として、書道・剣道・茶道が必修です。私たちの頃は、1ヶ月間、中国・北京の松下電器工場にて、農民工の方々と共に製造現場を経験する研修や、和歌山での林業実習など、塾の外に出ての体験研修もいろいろありました(現在は異なるようです)。

 2年目以降は、それぞれの塾生が持っている研修テーマにそって自ら研修内容を組み立て、研修を進めていきます。同時に、研修とは別に「人間観」「歴史観」「国家観」という3つのテーマに基づいた論文も年に計6本提出しなければなりません。2年目からは「審査会」という1人20分を使ったプレゼン発表があり、そこで自らの「志」に基づいた研修内容と結果、および、今後の進むべき方向性などについて、外部から審査員の方の審査を受けます。

 私の場合は、「医療や福祉を中心とした社会保障」をテーマにしておりましたので、そのテーマに基づき、2年目には、医療や福祉のさまざまな側面を見るために、医療過疎地域(岩手県遠野市、島根県隠岐之島町の隠岐病院など)や医療訴訟を手がける弁護士さんのもとでのインターン、不登校の子供たちのためのフリースクールでの研修や児童養護施設・生活保護受給者の福祉施設、あるいは療育センターや緩和ケア病棟等の見学などをしました。政治の面では、与党と野党それぞれの国会議員の下で、インターンもしました。

 3年目に入ってすぐに、妊娠・出産を経験し、2ヶ月間休塾しました。塾生が妊娠・出産をするのは、塾が始まって以来初めてのことだったので、いろいろと苦労がありました。結果的には、その後研修に戻るにあたり、「子供を連れてアメリカで研修をしたい」との申し出が却下されてしまったため、塾を一度離れ、塾からの支援なしに行くことにしました。そして、子供と実母と共に、米国テキサス州ヒューストンを訪れ、3ヶ月間、低所得者・無保険者の診療所や病院でボランティアをしました。このときの体験は衝撃的で、今の私に大きな影響を与えています(詳細は政経塾ホームページや下記書籍をご覧ください)。

 3年間を振り返り、私が目標にしていた「社会保障制度の理念の軸」は入塾前に比べてかなり姿が明確になりました。一言で言えば、「もっとも助けを必要とする人々が希望を持てる社会」をつくることです。でも、そもそも、目指すべき社会の姿を考えること、その中での人間のあり方を考えること、そのような視点を持つことこそが、すべての人の志とその道に必要であるということ、そして政治の道も臨床の道もその具体的な手段の一つにしか過ぎないということを、政経塾では骨に染み渡るくらい叩き込まれたな、と思っています。

 最後に、もう1点、私が政経塾に来て得た宝物は、政経塾の同志たちです。先輩、同期、後輩を含めて、自分の哲学をぶつけ合えるような同志ができたことは、政経塾で得た最高の財産だと思います。

現職に+αはどう生きているか、または現職が+αそのものの場合は、臨床経験が現在どう生きているか

 現在、私は精神科に勤務しながら、子供の心の病を担当する児童思春期外来を始めました。そこに至ったのは、やはり政経塾での経験があればこそです。特に米国の無保険者がかけこむ病院で、10才や11才の小学生くらいのお子さんが次々に「自殺企図」でやってくる現場を目の当たりにし、米国社会のひずみを一番受けているのは、この目の前にいる子供たちなのだと感じました。そして、この子供たちこそが、今、「米国でもっとも助けを必要としている人々」なのだろうと思ったのです。そして日本に帰ってから臨床に戻るなら、ぜひこの、子供たちの心の病と向き合おうと決めました。

 臨床に戻るにあたり、精神科に転科したのは、様々な理由がありますが、精神科の患者さんと向き合うには、やはり医師としてだけでなく、「人間として」の対応が求められることが多くあります。政経塾で3年間、人間や社会についての考察を深めてきたことは、臨床現場で患者さんと話をする際に非常に役に立っていると思います。

 また、精神科は小児科と異なり、一人一人の患者さんに対して、臨床以外の視点でも物を捉えていくことが必要になります。特に精神科の患者さんをめぐる「ストーリー」の中には、社会の矛盾や今一番弱い立場の人々の姿が見えることが多くあります。つまり、精神科の患者さんを通して「社会が見える」のです。私は、常に患者さんの社会背景も捉えながら、訴えに耳を傾けていきたいと思っており、そのためにも精神科へ来て本当に良かったなと思っています。

今後どのようにキャリアを形成していくか

 今後は、政治の道へ挑戦し、理念のある社会保障制度の実現に向けて取り組んでいきたいと思っています。ただ、自分の土台はあくまでも臨床であり、臨床は今後もずっと続けて行きます。

ブログ・ホームページなど
(1)政経塾の個人ホームページ
http://www.mskj.or.jp/profile/sakano.html
アメリカのレポートはこちら
http://www.mskj.or.jp/getsurei/sakano0710.html
(2)ブログ
http://sakamari.at.webry.info/
ご自身が紹介されたマスコミ媒体など
(1)「小児救急〜「悲しみの家族たち」の物語〜」(鈴木敦秋著、講談社)、第三章「誤診と引き継ぎミス」の「ある小児科研修医」の節
(2)「政治経済より人間力〜松下政経塾は何をするところか〜」(上坂冬子著、PHP出版)、第七章「女医塾生の海外研修」
(3)(株)メディカル・コンシェルジュのHP「Doctor’s eye 医療の視点から」
http://210.198.9.110/eye/index.php?blog_id=1143788483-606549

他、新聞・雑誌・TVなど