大嶽 浩司 氏 Hiro Otake, MD, MBA
年齢 : 36歳(2009年4月現在)
現在の職業 : 医師、病院内コンサルタント、政策参与、金融業(休業中)
現在の勤務先 :帝京大学 医学部麻酔科 准教授
           国際教育研究所 准教授
民主党参議院議員 鈴木寛 政策参与
株式会社 Max Corporation パートナー(休職中)
臨床専門分野 : 麻酔科
+αの道に入る前の臨床経験年数 : 7年
+αの道に入った後の臨床経験年数 : 1年
+αの道に入った際の年齢 : 32歳
+αの道の種類 : 経営、経済、金融
何故+αを選んだのか

 私は、日本、オーストラリア、アメリカと3カ国で臨床医として働いていましたが、どの国においても、病院は他の産業と比して現場運営上の非効率が目立って多いと感じていました。また診療が、病院あるいは医療提供者個人の資質に大きくゆだねられているために、医療提供者間の診療の質のばらつきが大きいということも問題視していました。

 そこで、他の産業の知識・知見を用いることで、病院を効率化するとともに、提供する医療サービスの質の底上げを図れないかと考え、ビジネスのノウハウを学べるビジネススクールMBA課程に進学することにしました。

 ビジネスを選んだ理由のひとつは、工場や商店あるいは航空などの管理に使う「オペレーションズマネジメント」のノウハウを病院に生かすことで、患者に対して行う一連の医療活動の流れをより高い質でより効率的に運営できるのではないか、と考えたからです。

どのようにして+αの道に入ったのか

 アメリカのUniversity of Miamiで小児麻酔フェローとして臨床を行っていた際に上記のような問題意識を持ってMBA受験を考え始めたのですが、そもそもMBAに行くかどうかを自分に問いながら、ビジネススクールの受験過程の一部である「卒業生・在校生・スタッフとの面接」を進めていきました。実際には病院内で翌年のスタッフのポジション争いをしつつ、MBA受験を行うという状況でしたので、受験スケジュールが相当タイトとなってしまいました。 最終的にはシカゴ大の卒業生に自分のロールモデルに近い方と出会うことが出来たこと、シカゴという街が気に入ったことで決断しました。

 MBA取得後は、医学部卒後に研修期間が必要なように、ビジネス界の初期研修として実地を積む必要があると考え、経営コンサルティング会社のマッキンゼーアンドカンパニーに入社しました。マッキンゼーを選択したのは、多様なバックグラウンドを持つ方々と、実際のビジネスの問題を日々切磋琢磨しながら体験できると考えたからです。

+αの道はどうであったか、何を学んだか

 シカゴ大MBAにおいては、いわゆるシカゴ学派といわれる経済学・金融学を体得すると共に、積極的な課外活動への参加を通じて多くの友人を得ることができました。また、交換留学制度の活用により、パリに滞在してヨーロッパの文化にも多く触れることができました。ビジネススクールではビジネスの知識・考え方だけでなく、今後とも一生続いていくような人との絆を多く体得できたと言えます。

 その後入社したマッキンゼーにおいては、問題解決の方法、論理的思考方法、戦略を実際に施行するやり方などに代表される様々なコンサルタントスキル、ビジネススキルを身につけることができました。

現職に+αはどう生きているか、または現職が+αそのものの場合は、臨床経験が現在どう生きているか

 ビジネススクールでの知識・経験・人のネットワークは現在でも生かしております。知識はものの考え方という面で、経験は人生の幅が豊かになったという面で、人のネットワークは他業種多国籍に渡る個人的なアドバイザーがたくさんいるという面で役に立っています。

 マッキンゼーで会得したビジネススキルは現在、病院内で診療科横断的、職種横断的にプロジェクトを行う際に非常に生きています。特に病院内では、診療科の垣根、職種の垣根を越えるコミニケーションスキル、物事を着実に前に進めていくプロジェクトマネジメントスキルを持った者が少ないので大変重宝されています。

今後どのようにキャリアを形成していくか

 現在いくつか同時に走らせている帝京大学での院内プロジェクトを成功させ、5年以内に救急・急性期に特化した臨床力のある高度医療センターとしての帝京大学という地位を築き、地域の住民により高い質の健康と安心を届けたいと考えています。

 また、帝京大学の臨床現場力を生かして優秀な医学生、初期研修生、看護学生、若手看護師、若手技師に帝京大学にたくさん集まってもらい、業種間連携を強く持つ臨床教育システムを構築し、将来的に日本の臨床を支える人材を多数輩出して世の中に貢献していきたいと考えています。