新福 洋子 氏 Yoko Shinpuku, R.N.(Japan& Illinois), PHN, PhD candidate
年齢 : 29歳
現在の職業 : 大学院生(博士課程後期)、看護師、助産師、保健師
現在の勤務先 : イリノイ大学シカゴ校(University of Illinois at Chicago)
出身大学・学部・卒業年度 : 聖路加看護大学看護学部2002年度卒業
臨床専門分野 : 助産
+α道に入る前の臨床経験年数 : 3年
+α道後の(留学後の)臨床経験年数 : 留学中
+α道に入った際の年齢 : 29歳
+α道の種類 : 研究、国際保健
何故+αを選んだのか

 私にとって+αは、「普通と違う事がしたい」という思いの産物のような気がします。その思いは私の中に昔から根付いているもので、高校時代に一般の大学ではなく看護大学を選んだ事、学年で数人しか取る事のできない助産過程を選択し、看護師だけではなく助産師になった事。そして助産師として働いた後、今度はアメリカに飛び出して大学院に進学した事。アメリカの大学院への進学は、何故と言われたら、理由は色々ありますが、研究者兼教育者になる事で、自分の学んだ事、発見した事をより多くの人に伝えたいと思った事が一番に挙げられると思います。

 私にとって研究とは、対象にとっての健康状態の改善を促していくもので、それは一般の看護業務と共通するところですが、日々の看護業務の中では疑問がたくさんありました。病院の中にたくさん存在するルールやルチーンが何を根拠に作られているのか、どんな看護ケアの種類があり、どの看護ケアがどれだけ患者の健康状態の改善に役立つのか。個人的に新しい研究結果を学んで日々のケアに取り入れても、客観的にそれがどれだけ役に立ったのかわからず、文献で読んだ研究結果を元にルールやルチーンを改訂したくても、卒業したての一下っ端ナースには、研究の結果を現場でどう反映したらいいのかわかりませんでした。これが研究を学ぶ事への動機でした。

 同時に、外国人の患者さんの多い病院で働いていたので、英会話学校に通っていたのですが、英語でコミュニケーションを取る事でとても喜ばれた事、外国人の患者さんと会話をする中で、他文化に触れ合う楽しさを覚えた事が、留学の大きな動機づけとなりました。

 これらの動機が、看護学が発達し、看護研究が進んでいるアメリカで、外国人と一緒に学び、英語を上達させながら、研究者兼教育者になるという具体的な目標につながったと思います。

どのようにして+α道に入ったのか

 アメリカに来たのが2005年の夏ですが、その時にはまだいきなり大学院に進学できるとは思っておらず、アメリカの看護師免許取得を目標にしていました。語学学校に通いながら、アメリカの正看護師の資格である、Registered Nurseになる為の試験、NCLEX-RNの勉強をしていました。語学学校で出会った他の外国人の多くは、アメリカの大学院への進学を目標にしていました。具体的に進学準備の話しを聞いているうちに、自分にもそれができるのではないかと思いが湧いてきました。

 そしてある日、たまたま参加したTOEFLのセミナーで出会ったタイ人ナースと友達になりました。その子のルームメイトが、現在私の通う大学院の日本人の先輩であった事が大きく運命を変えたと思います。その先輩に進学のお話しを聞いたところ、UICにはBSN to PhDという博士課程に学士号のみで進学できるプログラムがある事、UICには留学生も多く、教授達も留学に理解があるという事、そして、大学でアシスタントシップを受ければ、授業料が免除になる上に給料も事ができるという事がわかりました。ここでなら、外国人でありながらも、英語で研究を学ぶ事ができ、現実的に生活しながら、博士号をより早く取得する事ができるという所に魅力を感じ、進学の意志を固めました。大急ぎで必要書類を準備し、その年10月末には願書を提出しました。3月に面接を受け、2006年秋からの進学が決定したのでした。

+αの道はどうであったか、何を学んだか

 私はBSN to PhDという修士号を取得せずに博士課程に進むコースにいるので、まずは修士レベルの研究のコースと選択授業を取りました。修士レベルでは、研究を実践でどう使うかという視点で研究を読む勉強をします。選択授業には、将来を考え、看護教育のコースを主に選択しました。翌年から博士レベルの研究の授業を取り、科学哲学、理論、概念、測定、研究デザイン、方法論を大量の文献を読み、批評しながら学びました。

 私の道を大きく変えたのは、2007年の秋に選択した、 “Evolution of Breastfeeding & Breastmilk”という人類学の授業でした。母乳についての研究をしようかと考えていたので、アドバイザーである教授から薦められた授業だったのですが、その授業で医療的な観点だけではない、人類の進化から見る母乳や、社会文化的な母乳育児の問題を学び、その教授ととても意気投合したのでした。ある日、その教授にレポートを出しに行くと、教授に、「来年の夏は何をしてるの?私の研究プロジェクトに参加して、一緒にタンザニアに来ない?」と言われました。全く予想もしていなかった事にも関わらず、私の中の「普通と違う事がしたい」血が騒ぎだし、二つ返事でOKしました。

 その後、2008年夏、無事にタンザニアに着いたのですが、発展途上国の生活と医療を初めて目の当たりにし、東京とシカゴにしか暮らした事の無い私には本当に大きな経験でした。一ヶ月タンザニアに暮らし、農村地区の病院で助産師として分娩介助をさせてもらう中で、発展途上国の農村地区における医療の問題点、西洋諸国からの発達支援の現状を学びました。その中で、医療はその他の社会構造にも深く関わっており、 医療を改善していく行程の中で、政治、経済、環境、教育、伝統と文化などを含んだ大きな視野が必要な事も学びました。

現職に+αはどう生きているか、または現職が+αそのものの場合は、臨床経験が現在どう生きているか

 タンザニアでの経験が、現在の私の研究テーマを構成しています。発展途上国では、現在でも多くの母親が妊娠/出産に関わる原因で亡くなっています。主に適切な医療施設/医療職者不足と、医療へのアクセスの悪さ、医療の質の低さが問題になっていますが、どれも簡単な解決法はありません。 看護ケアに関しては、看護の教育そのものがアップデートされていない事に加え、資源と人材の不足があり、看護の質の向上が困難な状況にあります。医療/看護の質の問題は妊産婦や新生児の死亡率の改善を遅らせる一因と考えられます。その中で、どのように母親達をサポートできるか、母親達の声を世の中に届ける手伝いができないか、という思いが私の研究の根本となっています。その思いは、日本で看護を学び、臨床を経験した事に根付いていると思います。日本では、包括的(身体/精神/社会/スピリチュアル)に人を捉え、傾聴し、患者中心のケアを提供するという看護の理念を学びました。臨床では、複数の患者のケアを担当する事で、優先順位の付け方、時間配分の方法を身に付けました。ただ、臨床では自分のできる事の限界を感じていたのも事実です。新しい研究を学ぶ事が好きでも、どのように実践に生かし、評価できるのかがわかりませんでした。この研究と実践の隔たりや看護の質の向上の問題は世界共通だと思います。 日本での臨床経験が、看護の質を向上する為に、実践により反映しやすい研究をしたいという思いの根本にあると思います。

今後どのようにキャリアを形成していくか

 現在の目下の目標は、タンザニアでの研究を実現し、博士論文を書き上げ、卒業することです。卒業後も、アカデミックな分野で活躍したいと思っています。タンザニアの医療の改善は長期の介入が必要です。ライフワークとしてタンザニアでの研究を続け、母親達の健康改善に貢献し、その研究結果が似た様な問題を抱える他の発展途上国にも役立つ事を願っています。また、日本の看護界でも、現在国際看護が必須科目になっており、世界に対する日本の貢献の重要性が認められています。日本の看護師仲間、学生さんとお話しする機会があると、いつも「自分も世界で活躍できるようになりたいけど、どうしていいかわからない。チャンスが少ない。」とった声を聞きます。将来は教育を通して、日本の看護師や学生にもこのような現場に関わるチャンスを与えたいと思っています。国際看護のみならず、助産や研究も教えていく中で、日本の看護のアカデミックな側面を強めていきたいと考えています。

自身のPR/ブログ・ホームページなど
http://yokokitty.blogspot.com/
著書
看護部マネジメント 産労統合研究所 2007年4月〜10月
連載エッセイ全6回『助産師からアメリカ大学院博士課程への進学』
看護教育 医学書院 リレーエッセイ
2007年 UIC大学院生通信アメリカの看護教育・大学院生活・研究
11月号『オンライン授業で受けた看護教育コース』
2008年 シカゴ通信&JNEセレクション
5月号『科学哲学を博士課程で最初に学ぶ理由』
7月号『タンザニアで母乳育児を学ぶ(1) 旅のきっかけ:人類学でみる生態文化』
9月号『タンザニアで母乳育児を学ぶ(2)“自然の本来”を生かす助産活動』
12月号『一時帰国で初めての「先生」体験』
助産雑誌 医学書院 体験レポート
2008年11月号『タンザニアでの助産活動』
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