鍵本 忠尚 氏 Hardy T S Kagimoto, MD
年齢 : 31歳(2008年11月現在)
現在の職業 : President & CEO
現在の勤務先 : Aqumen Biopharmaceuticals KK & NA
出身大学・学部・卒業年度 : 九州大学医学部・2002年
臨床専門分野 : 眼科学
+αの道に入る前の臨床経験年数 : 2年
+αの道に入った後の臨床経験年数 : 0年
+αの道に入った際の年齢 : 28歳
+αの道の種類 : 経営


何故+αを選んだのか

 医学部の学生の頃、勉強は全然していなかったのですが両親が内科医で父が大學で研究をしていた事もあり、漠然と研究に興味がありました。研究室に出入りをする内に、九州大学 生体防御医学研究所所長をされていた笹月健彦先生(国立国際医療センター前総長)に飲みにつれて行ってもらっておりました。その席で先生がよく言われていたのは、「医者は病という敵と戦う兵士である。戦争の勝ち負けを決めるのはマクロでは兵士の技術ではなく、兵器のレベル。だから君たちは一通り医学を勉強したら研究をしなさい」という事です。先生の教えを受けて、早々に医学部6年生からPhDコースへ入り、一年大学院で研究生活を送ったものの、何か満たされない。論文の為の研究になり、患者さんへ何も届く気がしない。そんな思いをぐるぐる回っている中で、米国ではバイオベンチャーというものが存在し、研究の結果が出てくると直に特許を出願し、会社を作り、投資家から資金を募り開発へ入るというダイナミックな世界がある事も米国の友人からちらほら聞いておりました。しかしそんな事をしている人間が周りに誰もいない。研究室では「自分の研究室の研究は世界レベルだ」という先生はおり、またその業績もそう考えていいレベルであるのに、日本には世界で誇れるバイオベンチャーというものが全く存在しない。どう見てもそこに大きなギャップがあり、それを埋めない限り日本から笹月先生のおっしゃっていた「治療薬という兵器」を世界に送り出すことは出来ないと日々確信を深めていっておりました。

 一生は短い、ならば自分は世界によりよい兵器を供給し、大局的に病に勝つ仕事をしたかった。それが自然に+αの道を選んだ理由です。

 最終的な動機は患者さんとの出会いです。

 私がまだ研修医として働いている頃、ある患者さんと出会いました。

その患者さんは当時70歳でもう10年も前に両目を加齢黄斑変性に冒され、失明されておりました。彼は私に対し、「科学も進歩しているんですから、何か治 療法が出てないですか?」と尋ねました。しかしその当時、加齢黄斑変性に対する予後良好な治療法はありませんでした。その事実を伝えようとした時、彼がこう切り出しました。「孫娘が5年前に生まれたんです。でも、まだその顔をみておりません。もう自分も長く生きる気はしないし、なんとか一瞬でも構わないか ら、その顔を見たいんです。」

 医師という職業は、診断から治療薬の投与までが仕事です。外科医であればこれに手術という選択肢が加わります。しかし、それらどの選択肢を採って みてもこの患者さんに光明をもたらすことは出来ません。唯一、可能性を探るとすれば新規の治療薬を開発する事だけです。世の中にはこのような患者さんが多く存在し、そして増え続けるのは火を見るより明らかでした。この患者さんと同じ苦しみを味わっている方、そしてその前で私の様に無力感を味わっている医師、これを何とか無くしたい。そう考えました。

 時を遡り1999年当時の日本 における医学研究に於いて、医薬品の開発はおろか、特許の取得すらままならないのが現状でした。その当時、眼科研究者が発見した物質はサイエンス上の面白みが内部で認識されたものの、それ以上の検討がなされることなく適切な時が来るのを待つことになりました。

 ある晩、私が宿直で医局の鍵を閉めて回っている時、発見者からこの発見の話を聞きました夜も更け午前2時を廻った頃の話です。彼は私に対してこの物質が如何に革新的であるか、また糖尿病網膜症や加齢黄斑変性など治療薬の無い重篤な疾患を治療しうるかを語りました。私は学生時代に米国バイオベンチャー を見て回った経験から、どうすればこの発見を治療薬へつなげて患者さんに届ける事が出来るのか、そしてそれが如何に困難なことであるかをすぐに悟りました。

 治療法の無い疾患に対して治療薬を出すという約束は大変重い約束です。果たして自分がその約束を果たせるのか、そう自問自答し、私は決断し、2005年4月11日、アキュメンバイオファーマ株式会社を設立しました。

どのようにして+αの道に入ったのか

 動機があれば後はやるだけです。経緯も方法も動機に比べれば「入ることだけに限れば」至極簡単です。(会社の登記なんて一日でできます)

 高校生の頃、本気で画家になるつもりでおりました。では芸大に行く気があったかというと全くありませんでした。それは過去の偉大な画家を見ると技術を学校で勉強したからこそ大成したという人を見ることが少なかったからです。

 絵で上達する為には、まず筆をとり自分で線を引いてみることだと思います。自分で書いた線は消えません。そのまま自分の目を通して脳に跳ね返ってきます。そのプロセスの中で、その線でよかったのかどうか感じ考える。どこまで深く感じられるか、そして次回からそれをコントロールし再現できるか。最終的に考えなくとも柔らかい美しい線が思うだけで書けるようになるかです。

 経営も同じことだと思います。完成した(ビジョン=絵)を脳裏に浮かべながら、日々の意思決定という線を重ねる。線が面を作り、面が事業を作ります。かならず過去引いた線が今日、明日の自分に跳ね返ってきます。

 一本目の線を引くのはある意味簡単である意味難しい。しかしもっと難しいのは、その線の集大成を、一本目を引く前に自分が思い描いていた絵と完全に一致させること。これはとてもとても難しい。

+αの道はどうであったか、何を学んだか

 「バランス」

 この世のあらゆるものはいつ壊れてもおかしくない絶妙なバランスの中で成立しております(人体がその最たるものであるのは皆様のよく知るところですが)。

 医学でホメオスタシスを取り戻す事を目的にさまざまな指標を見て治療を施すように、経営者は企業成長の為に以下の点に立ってものを考えます。

 4次元:事業根底にあるミッションの提起、その為のビジョン具現化、実行プラン策定、そしてその遂行。

 4要素:人・物・金・時。

 これらの4要素・4次元が、多くの場合それぞれが反発しある時は絡み合い事業という目に見えない「なにか」を作りあげます。

私の現状では、ようやく3年かけてこれらの構造が透けて見えるようになってきた段階です。ヒヨッコです。しごく単純な「事業とは何か」という問いにも「私の答え」はまだ持てておりません。経営者としてはまだまだですが、この経営というものはとても奥が深く面白い。この道の熟達になり、絶妙なバランスの取れた意思決定をできる様になるには数十年かかるでしょうが、これ以上に充実した道は無いとも確信しております。

現職に+αはどう生きているか、または現職が+αそのものの場合は、臨床経験が現在どう生きているか

 この問いに答える為には少し回り道が必要です。

 大学を卒業後、JETROのお世話になりシリコンバレーでインターンをさせていただいたことがあります。その時、金融のダイナミクスを肌で感じベンチャー一般のうねりを感じたものの同時に直ぐにこの道に入ってはいけないとも感じました。その当時はなぜそう感じたかよく理解しておりませんでしたが今はわかります。

 それは多くの金融・新産業の世界が結局はいわゆるマネーゲームで終わってしまうのをわかっていたからです。ミッションなくその世界に入ってはいけない。

 人類が「金(かね)」というものを生み出してからというもの、「金」は増え続けております。どこかで誰かが不況だといっても、資金がうねりをあげて次の場に移動しただけの事で世界のどこかにその資金はあり、次の投資先を探しうごめいております。水のようなものです。(当たり前といえば当たり前ですね、生まれた時から金は物ではなく人が作った概念でしかないわけですから)

 当時の自分にはその流れの中で自分を見失わない程のミッションが心になかった。それが無ければ最初から最後まで流されるだけです。初めから流される覚悟で入ればそれなりの流れようもあるのでしょうが、それは違うと感じていたわけです。

 患者さんとの出会いがあり、それが今選んだプロフェッショナルの道で生きる上でのミッションを与えてくれた。個人を形成する(心・技・体・時)の内、時は消費するのみ、技と体はいくらでも磨けるが、ミッションがないことには心が根なし草になってしまう、そうならない為の軸ができました。

 最後に質問へ対する回答ですが、臨床経験がどう生きているかというよりは、臨床経験があるから今を生きられているということかもしれません。

今後どのようにキャリアを形成していくか

 日本の技術というのは大きなテーマですが、あえて一歩引いてみます。

 国の力とはつまるところ、経済力・軍事力・文化力です。

 日本の文化力は他国に引けを取らない。軍事力はここでは語りません。そして日本の将来の鍵は今までもそうでしたが結局、経済力です。大前提として日本という国家は資源過少国家です。同様の構造を持つ他国の事例を見ると、国家が力を割くべきは、金融・広義の知的財産・外交戦略(したたかな)です。

 要は国力の維持には国民が知恵を使うしかない。

 自分のフィールドに戻れば、現状研究者に知恵はあり、研究成果は大いに出ているが世界へ向けた商業化が弱すぎる。これでは血税をつぎ込んで「日本の技術」を振興している意味が無い。

 30代はこの問題にプレーヤーの一人として全力で取り組みます。

 40代は広く国家経済へ貢献する仕事がしたいですね。

 50代では後進を育てる。

 60歳で引退し孫にさんざんプレゼントを買い甘やかす(笑)

自身のPR/ブログ・ホームページなど
http://www.aqumen.jp
ご自身が紹介されたマスコミ媒体など
日経新聞、日経産業新聞