守屋 文貴氏 Fumitaka Moriya MD
年齢 : 31歳(2008年7月現在)
現在の職業 : 医師、コーチ
現在の勤務先 : クリニック勤務
出身大学・学部・卒業年度 : 横浜市立大学医学部 H13年卒
臨床専門分野 : 眼科
+αの道に入る前の臨床経験年数 : 4年
+αの道に入った際の年齢 : 27歳
+αの道の種類 : ベンチャー経営
進学先 : グロービス経営大学院
進学先の場所 : 国内
専門 : ビジネス
進学先で取得した学位 : 経営学修士(取得中)
進学先の場所 : 国内
進学先のウェブサイト : http://mba.globis.ac.jp/
進学先の特徴・売り : 社会人型大学院のため、キャリアを中断せず学位取得ができること。カフェテリア方式の授業選択により、自分のペースで授業を受けることが可能。学長である堀義人さんの「創造と変革の志士をつくる」という熱いビジョンに共鳴した熱いビジネスパーソンが集まっている点。
願書以外に必要なもの : エッセイ、推薦状
準備期間 : 1ヵ月程度
進学先へ入るためのアドバイス(自身の経験から) 個人的には、MBAという学位取得を目的とするよりも、そのプロセスから何を自分が得たいのかを明確にした方がよいのではないかと思います。また、社会人型大学院はキャリアの中断がいらないというメリットがある一方、家族や自分の余暇はかなり犠牲にされます。家族の理解、自分の決意・コミットが大事かもしれません。
印象に残っているコース名(5つくらい) : クリティカルシンキング、ファイナンス、マーケティング、ビジネスプラン
学費(学位取得までにかかったもの) : 約280万円
年数(学位取得まで) : 最低2年、最長5年
何故+αを選んだのか

 僕が医学部になった動機は、両親のすすめと、他になりたいものがなかったためというお恥ずかしいものでした。医師になってからも、臨床に対して熱い志を持った周囲の医師と比較すると、どこか自分の居場所ではないような感覚を持ちながら、日々の業務に追われていました。

 そんな時、尊敬していた義理の父がまだ54歳の若さで突然亡くなりました。いわゆる過労死だったのでしょう。義父が携わっていた新規事業をリリースする直前のことでした。義父は死ぬ直前、大きなチャンスが与えられて本当に活力に満ちていましたから、幸せだったかもしれません。でも義父がやりたかった事業には結局携わることが出来なかったのです。僕が深い喪失感とともに感じたのは、「人間ってやりたいことをやらないと、死んでしまうんだな」ということでした。それまで僕は「やりたいことはいつか見つかるし、いつか実現できるだろう」と思っていました。 大好きだった義父は、「自分の道を追求しなさい」というメッセージを自分に残してくれたように思います。

 このことをきっかけに、自分の本当にやりたいことは何なのかを見つけようという決意のもと、+αの道を模索するようになりました。

どのようにして+αの道に入ったのか

 周囲には+α道を進んでいるロールモデルになる方はあまりいませんでした。情報源が少なかったのも災いして、私にはMBA取得や、大手コンサルティング会社など限られた選択肢しか見つけることができませんでした。

 海外でのMBA取得は、視野を広げる意味でも魅力的でしたが、子供も幼く、さらに身内の死などもあり、家族全体に精神的な余裕がなく、難しいと判断しました。

 大手のコンサルティング会社については複数採用面接を受けました。内定が出たところもありましたが、ビジネス経験値を効率よく上げることが出来る一方で、臨床から完全に離れてしまうことにも怖れを感じました。また当時の自分は、一気に成功したいという焦りに支配されており、就職後の、成功イメージが描けないことも抵抗がありました。

 そんな中、同じ横浜市立大学の麻酔科医から、ベンチャーを創業するので手伝ってほしいとの誘いがあったのです。医師限定のプロフェッショナルSNSとヘルスケア分野でのリサーチインフラを同時に実現しようというビジネスモデルでした。その頃はまだSNSが今ほどメジャーになっておらず、さらにカテゴリー特化型のSNSはほとんどなかったので、大きな可能性を感じ、創業メンバーとしての参画を決めました。

+αの道はどうであったか、何を学んだか

 とにかく最初は未知なことの連続でした。名刺の出し方から、ビジネス文書やメールの書き方、アポイントの取り方、プレスリリースの仕方、何も知らないわけです。特にベンチャーは業務の役割分担というものがほとんどなく、全てを自分でこなさなくてはなりません。フットワークは身についたのではないでしょうか。

 また、いくらビジネスモデルが秀逸だったとしても、スムーズにいくことはほとんどありません。僕にもほんの小さな成功体験がありますが、それさえも実際に結果を出すまでは苦闘の連続でした。成功できるかどうかは、そうした苦難や障害にあってもモチベーションを保ち続けられるかどうかだと思います。そして自分のミッションに基づいた仕事であれば、苦しいことを乗り越えられるのだと思います。でも、僕はどうしてもこの事業に自分のミッションを見出すことができませんでした。それが腹の底から理解できたので、僕は辞職しました。

 不確定要素の多いベンチャー企業において、まずあるべきなのは「自分の人生をかけて、実現したいことがあるかどうか?」ということだと思います。

卒後の道・現職に+αはどう生きているか

 他人から見ると、順風満帆とは決して言えないキャリアを歩んでいますが、医療を幅広く見る視点を養えたこと、様々な業界に多くの仲間ができたのは財産です。社長業を経験したのも、現在、経営者に対してコーチングをする上で非常に役にたっています。

 話は逸れますが、仕事という観点では、単なる友人ではなく仲間を作るのがポイントかもしれません。仲間は自然とできるものではなく、自ら主体的に動き、自分が何者であるかを伝えていく積極性が必要だと思います。そして自分がしてほしいことではなく、まず相手に何が出来るかを考えていく、そんな姿勢が大切なのではないでしょうか。

今後どのようにキャリアを形成していくか

 キャリアパスはあまり意識していません。まず自分が今やりたいことだけに焦点を当てて、一生懸命取り組もうと考えています。パーソナルコーチングによって個人の可能性を伸ばす手伝いをすること、コーチングやNLP、MBTIの知識を使って個人が輝く組織作りを支援すること。後輩の方に伝えたいことは、どんな経験をしたとしても決してそれは無駄にならないということです。ただし、どんなキャリアを選択するにせよ、まず自分がそれを好きかどうか、そこから出発するのがよいのではないでしょうか。人間は生まれたときから死ぬことが決まっている存在です。やりたいことをやらずにいると、時間は無常にもあっという間に過ぎていきます。

 ここで、アップルの創業者であるスティーブジョブズが、スタンフォードの卒業式でしたスピーチの一節を紹介したいと思います。読んでくださった皆様の何かの参考になることを願いつつ。

 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるのです。