矢野(五味)晴美氏 Harumi Yano MD,DMsc,MPH
ウェブサイト
http://www.harumigomi.com/
http://www.jichi.ac.jp/hospital/rinsyoukansen/INDEX.htm
著書
ケーススタディ感染症科専門医の臨床最前線
−グローバル化時代の戦略的思考法 −
矢野(五味)晴美 編著 医薬ジャーナル社 (2008/06)
略歴
岡山県生まれ
学歴
1993年 岡山大学医学部卒業 (MD)
2000年 London School of Hygiene and Tropical Medicine, London, UK
熱帯医学専門医養成コース修了
Diploma in Tropical Medicine and Hygiene (DTM&H)
2001年 岡山大学大学院医学研究科 衛生学教室 博士課程卒業
(DMSc)
2003年 Johns Hopkins University Bloomberg School of Public Health
Baltimore, MD, USA
Master of Public Health (MPH) 取得
職歴
1993-1994 沖縄米海軍病院インターン
1994-1995 岡山赤十字病院 内科研修医
1995-1998 Beth Israel Medical Center, New York, NY
内科レジデント
1998-2000 University of Texas-Houston Medical School, Houston, TX
感染症科フェロー
2000-2002 日本医師会総合政策研究機構 (日医総研) 主任研究員
2003-2005 南イリノイ大学医学部感染症科 アシスタントプロフェッサー
2005-2006 自治医科大学附属病院 感染制御部 講師
2006年より現職
留学を志されたきっかけは何ですか?

 元来異文化に触れることが大好きだったこともあり、小学生の頃から英語が好きでラジオの英会話番組なんかを良く聴いていました。徐々に外国で色々な国の方達と直接会話をしたいと思うようになっていきました。
 大学は地元の岡山大学に入るのですが、卒後から今まで海外生活が長かったことを振り返ると、大学生活を親の近くで過ごすことができたのは良かったと思っています。当時は、海外生活がこれほど長くなるなんて想像もしていませんでしたからね。親の理解・援助もあり、大学生時代には夏休みを利用して米国や英国で数週間を過ごすことができました。その頃出会ったイタリア人の友人がマルチリンガルで本当に驚きました。彼女とは今でも友人ですが、外国の方と友達になることや、外国の雰囲気を目の当たりにすることで、留学したいという気持ちがより具体的なものとなっていきました。
 当時、野口医学研究所に医学生向けの短期留学プログラムがありました(現在もありhttp://www.noguchi-net.com/index.html)。実際、東京へ話を聞きに行き、医学部5年生の頃に応募しましたがTOEFLの点数が悪かったことを憶えていますね。その頃から6年生にかけてTOEFLの予備校などに通いながら一生懸命勉強をし、それが後のECFMG(米国臨床研修資格試験)にも繋がっていきました。

その頃から、行動にあまり迷いが無く積極的ですね。

 留学したい気持ちがとにかく強いこともありましたが、自分の人生の主役はやはり”自分”ですからね。医学部卒業時、母校の医局説明会に出席もしましたが、直感的に母校の医局に自分の居場所は無いなと感じました。周りの同級生や仲間からも「留学してどうなるの?」などと否定的な意見を多く聞かされましたが、あまり気になりませんでした。

留学された当初は、どのようにお感じになられましたか?

 日本での研修中にECFMGを取得することができ、当時から始まった東京海上日動のN program (アメリカ臨床医学留学プログラム:現在もありhttp://www.tokio-mednet.co.jp/nprogram/)から、ニューヨークのBeth Israel Medical Centerに勤務する機会を得ました。とにかく周りがopen mindなので、横並びの好きな日本とは異なり、やりたいようにできました。言葉の問題・生活・努力することは厳しかったですが、努力すれば結果に結びついて行きましたし、周りの同僚の才能が花開いていく感じもやはり良かったですね。実際、本当に最近のことなのですが、Doruk Erkan というBeth Israel Medical Centerでの同僚がその才能を開花させて、膠原病の権威となって日本で講演を行うまでになっていたりして、本当に嬉しく思いました。(http://www.hss.edu/physicians_erkan-doruk.asp

ニューヨークからヒューストンの病院へ移られますが、病院の選択はどのようになっていたのですか?

 フェローシップのマッチングです。この制度は今は日本でも取り入れられています。当時はインターネットもなく、今ほど簡単に情報が手に入らず、私の周囲には米国の100近くも病院の案内をもらっている同僚もいましたし、自分自身も70病院くらいから資料を集め、そのうちの半分くらい35病院へアプライしました。幸いその7割ほどの病院からインタビューのオファーを頂きました。ニューヨークから暖かい場所へ移りたかったこともあり、希望上位だったヒューストンのテキサス大学へ就職することができました。

Johns Hopkins大学院へ進学されるきっかけは何だったのでしょう?

 その当時、感染症科医として、疫学的な視点と統計に関する系統的な知識を身に付けたいという気持ちがありました。病院で培った経験は「個人」に対しての医療技術でしたが、感染症科という分野が「個人」だけの問題ではなく、社会全体の「パブリック」なものであったため、public healthは必須と認識していました。また、日本の大学しか卒業していなかったため、米国での後輩医師を指導するにあたり、一度は向こうの高等教育に触れ、そのteaching skillをできることなら身に付けたいと考えました。

大学院へ進学されて良かった点・ご苦労された点は何でしょう?

 良かった点は、向こうの高等教育に触れることができた点ですね。教授自身から直接様々なことを学べるということは素晴らしいことですし、看板教授の授業はある種のshowを見ているかのように大変すばらしく感銘をうけるものでした。彼らが、一つの授業のために膨大な時間と労力を費やして準備していることも分かり、その姿勢を学べたことも良かったことの大きな点です。世界最高の教育現場に直接触れることができたことは、本当に良い財産になりました。エベレストにせよキリマンジャロやマッターホルンにせよ、登る山は異なっても、世界最高峰の頂きがどんなものであるかを感じることが出来たことは大きな幸せでした。
 当時のJohns Hopkins大学のSchool of Public Healthには、Harvard 大学のプログラムの“concentration”といってある特定の分野に特化した様なカリキュラムはありませんでしたが、私は、感染症に関するコースを集中して取りました。それには、麻疹ワクチンやSTD(性行為感染症)についての疫学的な視点について勉強することができました。必須科目のほか、選択科目で興味のある分野の授業をとることができた点、また、ちょっとおさらいしたい免疫の授業に参加させてもらえたりと、受講の自由度が高かった点も良かったですね。免疫の授業なんか、試験を受けなければいけないような形だと、きっと取っていなかったでしょうからね(笑)。
 また、teaching assistant(TA と呼ばれる、そのコースをサポートする係)などの教育システムが充実していることの他、同級生のレベルの高さ・多様性に触れることができたことも大きな利点でした。在学したのは、入学した学生の平均年齢である34歳の頃だったのですが、40歳過ぎの経験豊富なmid-careerの方や米国の秀才である大学(undergraduate)を卒業したばかりの若者まで年齢にも幅があり、25%程度の留学生を含む多様性豊かな同級生の中で勉強ができたことは大きな財産でした。学費は4万ドル弱(当時で400万円強)でしたが、その投資をはるかに超える、価値のある大きな収穫とリターンのある経験でしたね。
 とはいえ、やはり資金面で苦労しましたね。当時、研究員として幾ばくかの援助金を頂いていた他は、自費で賄っていました。住居は、タウンハウスを日本人メーリングリストで紹介して頂きました。大家さんも良い人でしたし、学生だからと家賃を安くしてもらったことは本当に助かりました。

ページ 2 パラグラフ 1 テキスト:
日本へ帰国することは迷われませんでしたか?

 日本への帰国は、約8ヶ月間、人生始まって以来迷いましたね。それまで、ほぼ直感的に進路を選択していました。南イリノイ大学病院で、地域医療に貢献するのか、日本へ帰国して日本の医療に貢献したいのか、なかなか答えが出ませんでした。

帰国を選択するにあたり、どんなことをお考えになり、何か参考にされたことはあったのでしょうか?

 とにかく自分自身をもう一度見つめ直しました。「自分の人生のミッションは一体何なのか?」それはもう長い期間考えました。それが現在の自分のホームページに記載されているものです(■日本の感染症科を作ること、■日本の学生・研修医に世界最高の医学教育環境を実現し、提供することhttp://www.harumigomi.com/mission.htm)。進路を決定するにあたり、お世話になっていたネパールの栄養状況を改善させることを専門にやっていらっしゃったDr. West先生など何人かのmentorから色々と言葉を頂きました。Johns Hopkins大学のキャリア・フェアというランチョンセミナーで、ある教官が、“Follow Your Passion! Make your own niche.” (情熱の傾くままみ進むがいい。これまでにない自分だけの新しい分野を開拓せよ)と、メッセージをくれました。実際、好きなことって時間を忘れる位打ち込めますからね。

日本に帰られてからお感じになることは何ですか?

 日本の医療環境の不条理さや医学部生の日米の違いですね。現在の准教授というポストでも、否応なしに事務仕事が時間を圧迫していますし、米国に比べて学会など勉強にかけてよいお金も限られています。日本の仕組みでは、時間を有効に使うことがとても困難に感じます。多くのかたを観察していて、才能がどんどん浪費されている印象を受けます。そのことが本当に惜しいことだと感じます。米国では教育用の年間予算や、そのための時間も確保されています。また日本の医学部の授業は、まだまだ大人数の講義形式で、一方的に情報を与える形が多いのです。欧米では、常に講義はinteractiveであちこちから質問やコメントが入ってきて、双方向でのセッションが常でした。学生もかなり積極的に講義にかかわる印象でしたね。

そうした問題点に関してどのように活動して行こうと考えていらっしゃいますか?

 日本の社会基盤、仕組みに関しては、何千年も昔からの歴史と日本の元来ある文化的理由もあるでしょう。医療現場に関しては、医療にかける絶対的な資金不足があると思います。
 教育については試行錯誤ですが、既に学内で少人数制の感染症カンファレンスを行ったり、学外では日本感染症教育研究会(Infectious Diseases Association for Teaching and Education In Nippon:IDATEN http://www.theidaten.jp/)を展開しています。将来は、世界中の医学教育の良いところを、取り入れながら、日本でも、大学院レベルのメディカルスクールをつくりたい。そして、それにかかわりたい、というのが最近思いはじめた目標です。既存の組織の小手先改革では、不十分であり、より困難な印象です。

若手医療従事者へ、学び続けること別の視点を身に付けること、+αな知識を得ることについて一言お願いいたします。

 若い医療従事者の方へのメッセージとしては、「いちど、自分の目で、世界を見てください。」ということです。どんなことが目的でもいいので、一度、日本を飛び出して、広い世界を体験してみてください。私は、世界約40カ国を訪問、旅行しました。学会などで訪れた国も多いです。遊び、短期滞在、出張、観光、留学、研修などさまざまな目的でいろいろな国で、いろいろな人とかかわってきました。21世紀は、まさに、「地球人」となることが望まれる時代です。人種、性別、文化、言語を越えた真の友情が培え、交流ができる時代です。こんな恵まれた時代に、日本のなかだけで人生を完結するのはもったいない!

 より広い視野で、自分の人生を、主体的に、切り開く、そんな人生をひとりでも多くの人が歩んでくれたら、と願ってやみません。

 医学に関しては、医学の周辺の領域、公衆衛生、医療経済、医療政策などの高等教育を、欧米のすぐれた大学院などで学ぶことで、キャリア選択、仕事の方向性に大きなインパクトがあるでしょう。私は、Pubic Healthのマスター(修士)を取りましたが、かけがえのない経験です。
医学部卒後10年で、ふたたびフルタイムの学生に戻りましたので。

 自分がエネルギーを投入すればするだけ、リターンが自分に戻ってきます。

 最後に、私がいろいろな人から教えていただいている大切なことは、
「自分のやりたいことをしなさい」ということです。そしてまた、「あなたを止めているのは、あなた以外にいない」ということです。私のプロフェッショナル・ライフでの基本である「成長、飛躍、貢献」を、若い医療従事者の方々も胸に抱きながら挑戦して頂きたいと考えています。

編集後記
 主体的にキャリアを構築すること、才能を伸ばすことが本当に大切であることを強調していらっしゃいました。米国医療での常識が日本では通用しないことが大きな悩みのご様子で、意見を受け入れてもらうには時間のかかることなのだろうと感じました。ご自身でも仰っていらっしゃいましたが、日本の文化的背景、仕組みや個々人の特性を良く考慮した上で、押し付けではない形で他国のシステムを取り入れるべきであるし、変化の望まれている側も拒否反応といった感情から入るのではなく、メリットデメリットを冷静に議論した上で、将来の医療に役立つものを取り入れていくという柔軟性が必要なのだと感じました。こうした、何か介入した方が良いと考える情報を持っている人と、現状を変えたくないという受け手側の構造は、診断がついていて、治療手段を知っている医師と治療を渋る患者さんとの関係にも似ています。どの場でも目標を共通認識しつつ、前に進むためのコミュニケーションを相手を思いやりながら取って行くことが大事なのだろうと感じました。 (K)