熊本県阿蘇市草千里展望所付近の被災状況(出典:阿蘇市役所公式Facebookページ)

余震・天候により状況把握が振り出しに戻る日々
 本部の体制整備に伴い、医療機関や避難所の状況把握は進みやすくなった。だが、阿蘇では震度5〜6の繰り返す余震と大雨により、何度となく各地で土砂災害が起きていた。これまで使えていた道路が翌朝には通行できなくなっていたり、土砂災害などを懸念して突然使われなくなった避難所があったり、あるいは逆に突然避難所ができていたりと、不安定な状況が続いていた。

 苦労して情報を集めても翌朝には振り出しに戻るといったこともあった。終わりも見えず、崩れ続ける砂山を相手にしているような気持ちがする日々だったと今でも思う。

被災者と支援部隊が土砂に飲まれた!?
 阿蘇地域に大雨警報、洪水・強風注意報が発令された4月21日、立野地区にある立野小学校避難所近くの山が土砂崩れを起こし、避難者と支援チームが巻き込まれた可能性があるとの連絡が入った。結果的には、自衛隊と警察がすでに全員を避難させていたことが分かり、また土砂崩れも誤報であったと分かり、心底ほっとした場面もあった。

 連絡が入ったときは、安全が確保されていない場所に支援部隊を派遣してしまったことでDMATで初めて支援者を含めた二次災害を起こしてしまったのではないかと青ざめた。これを機に、安全第一に支援を行うよう、私は改めて心に誓った。

熊本県阿蘇市県道内牧停車場線の被災状況(出典:阿蘇市役所公式Facebookページ)

避難所では感染症の被害が拡大する危険性
 その後も日々、余震と闘うかのように、避難所と医療機関のアセスメントを繰り替えし、被害の全体像の把握に奔走していたころ、複数の避難所からノロウイルスの発生報告が寄せられた。その衛生環境を確認した結果、衛生管理を医療支援者で行う必要があると判断した。

 避難者が多いこともあり、1つの避難所に2000人前後の避難者が滞在していたところもあった。もし、被災者が多数集まる避難所で感染者が発生した場合、隔離するための十分なスペースはない。また阿蘇地域には多数の感染症患者が入院できるほど十分な入院床もない状態だった。そのため、何としても蔓延する前に対処しなければと、対応に追われた。

 少数の入院が必要な患者は、大阿蘇病院と阿蘇温泉病院に入院を依頼。保健師には避難者の診察と疑い例を含めた感染者の隔離、避難所のトイレや手洗い場などを中心に衛生保健指導を徹底して行うよう依頼したところ、それ以上感染が拡大することはなかった。

DMATから医療救護隊への引き継ぎ
 全国知事会の要請で、4月22日には各自治体から派遣された医療救護隊が阿蘇地域に入り始めたことを受け、DMATは撤収に向けて引き継ぎを開始した。しかしその頃、熊本県内には阿蘇以外にも急遽支援のニーズが挙がった場所があり、阿蘇への支援が手薄になりかけた局面が生じた。県調整本部に改めて追加の支援要請を行い、ようやく充分な支援隊の確保ができたときには、本当にほっとした。

 4月23日には、追って支援に入ったDMAT隊に、経緯を含めて数時間かけて事務局機能の引継ぎを行った。その後は、日本集団災害医学会から派遣された救護隊が事務局機能を引き継いだと聞いている。

 引き継ぎを終えた私は県庁に向かい、被災・支援状況を報告した後に帰途についた。

支援撤収時期を判断するため再度被災地へ
 その後、日本集団災害医学会からの派遣者として、私は熊本県庁の県医療救護調整本部の副本部長として5月6〜9日に再び被災地に赴任することになった。

 被災から約3週間が経った時点での熊本県全体の医療支援ニーズの把握に加え、特に益城町、阿蘇地域の支援状況の調査と、支援の撤収を始めるタイミングを見定めるのが目的だった。

 2回目の訪問時にはいずれの被災地も、医療機関の多くは復旧していた。だが、医療機関に勤めるスタッフも被災者の一人だ。診療を再開しているところでも、被災前と同レベルの医療を提供するには人員が不足しまた疲弊している。まだ支援を続ける必要性を感じた。一方、保健衛生業務はまだ収束できる兆しが見られず、保健師の不足と疲弊が目立っていた。特に益城町では町役場も被災していたためか、長期にわたり保健衛生分野への支援を継続する必要があるように見えた。地元の方々を主軸においた、バランスのよい支援がうまく続けられるよう微力ながら応援しつづけたいと思っている。