崎長ライト氏による阿蘇地区感染制御のキーマンインタビュー。第2回は厚生労働省DMAT事務局次長の梶野健太郎氏に、DMAT活動の変化を聞いた。(編集部)


――厚生労働省に入るまでの経歴を教えてください。
梶野 1999年に愛知医科大学を卒業し、救急医に憧れ、当時の大阪大学特殊救急部(救急医学教室)に入局しました。当時は、サブスペシャリティーとして外科系で研修することを求められていたので、外科で2年、脳外科で2年研修しました。

 大学院時代、米国に短期ですが留学し、救急医を中心とした病院前でのメディカルコントロール体制を知りました。留学後、大阪市内の救命センターで勤務しながら、地域のMC(メディカルコントロール)協議会でも活動しておりましたが、一向に日本のMC体制は変わりません。たまたま知り合った厚労省の医系技官に相談したところ「国から変えればいいのではないか」と言われ、2012年に交流人事枠で厚労省に入省しました。

厚生労働省DMAT事務局次長の梶野健太郎氏

――DMAT事務局には、どのように関わるようになったのでしょうか。
梶野  厚労省入省後、医政局の指導課に配属になりましたが、当初の官職名は「医療体制確保専門官、医療放射線管理専門官」でした。都道府県に医療計画を指導したり、院内感染や医療放射線を所管する医療計画ラインの担当でした。しばらくして、課長補佐として救急災害ラインにもかかわるようになりました。 

 2014年度予算案に米国のようなEMS(emergency medical service)メディカルディレクターの布石として、MC協議会にMC医師を配置する事業を挙げ、2014年度よりメディカルコントロール強化事業として始まっています。

 DMATについては、首都直下地震発生に伴って東京・立川のDMAT事務局が機能しなくなった場合を想定し、関西にDMAT事務局を置く話が出ていて、大阪事務局の立ち上げに関与しました。霞が関での任期が2年で、その後に大学に戻る予定でしたが、省内からも大阪事務局の運営を軌道に乗せることが求められていたので、厚労省から出向する形で大阪医療センターに入り、DMAT事務局の運営に携わっています。

――災害医療において情報収集、連絡、調整、記録などを担当するロジスティックが、今回の熊本地震で初めて派遣されたようです。どう思われますか。

梶野  災害急性期を担うDMATにとって、東日本大震災以降、2次隊・3次隊の派遣が認められたものの、急性期以降の派遣は難しい状態でした。2012年の活動要領改訂以降、ロジスティックチームについて明文化し活動が可能となって初めての派遣が今回になります。

 今回の最大の功績は、今までチームとしてしか出動できなかったDMATの隊員を、ロジスティックチーム隊員として個別に急性期・亜急性期に派遣が出来たところです。それは、優秀な人材を、個別に必要な場所に振り分けられるということを意味しています。

 課題は、身分、選定方法などです。現行の制度では、あくまでもDMAT指定医療機関に属しているDMAT隊員の中でのロジスティックチーム隊員しか対象としておらず、個別派遣としてのメリットが十分に生かされていません。さらに、欲を言えば、もう少し行政と話ができる行政経験者などを入れるべきだと思いました。この辺りは今後、クリアにする必要があると思います。

 他にも様々な問題はありますが、ロジスティックをこのような形で派遣したことは、ひとつ前進ととらえて良いでしょうね。

――医学生や研修医、若い医師たちにメッセージを。

梶野  目の前にいる1人の重傷者の救命が救急科専門医の仕事ですが、地域の人が安心して暮らしていける救急・災害医療体制を作っていくことも救急科専門医の仕事です。領域にとらわれず、いろいろな仕事に興味を持ってほしいと思っています。