その時も自宅にいた私は、やはり車で病院に向かった。だが、前回と異なり、今度は道路に瓦などが散乱し、信号も一部消えていたため、病院に着くのに通常の倍近く時間がかかった。

 午前2時45分ごろ到着すると、既にトリアージエリアは再設置済みだった。そこに多くの外傷患者が押し寄せた。14日よりも地震の規模が大きかったことに加え、当院よりも震源地の益城町に近い熊本赤十字病院や済生会熊本病院に救急患者があふれてしまっていて、その分、当院に救急搬送される件数が増えたのだ。

 医師や看護師らメディカルスタッフが懸命に救急対応に当たる一方、事務部門も、被害状況の確認に始まり、県の災害対策本部への非常食および飲料水の要請、救急搬送車両の誘導、駐車場の整理など、せわしなく動いた。

 この2度目の震度7で、手術室は10室中2室が損害を受けて使用できない状態に。1室は天井が一部落下し、もう1室は無影灯の軸が曲がった。放射線科ではMRI1基の軸が曲がり、これも使用不可となった。厨房は都市ガスが停止し、プロパンガスで代用することになった。

手術室の無影灯が一部破損し、部品が落下した。(提供:国立病院機構熊本医療センター)

 地震後には停電が発生し、無停電電源装置が作動。30秒後に復電したので、救命センターや集中治療室などに影響はなかった。だが、エレベーターは停止したまま。そこで、事務部門が中心となって、人力による朝食搬送を計画した。

入院患者461人の食事をバケツリレー形式で配膳
 午前7時から8時にかけて、1階の厨房から、病棟の最上階の7階まで、事務部の職員と栄養管理室の職員、さらには看護学校教員、学生、また看護師も応援に入って、合計40人がかりで、入院患者461人の食事を、各患者1人分のお膳をバケツリレー形式で運んだ。エレベーターはその後、専門業者が点検作業を行い、午前11時に復旧した。

 周辺の医療機関からは、患者受け入れの要請が相次いだ。熊本市民病院では、1階の天井が約2メートル四方にわたって崩れ落ちたほか、給水管が破損し、水漏れが発生。そのため、320人余りの全入院患者を転院させることになり、当院では19人を受け入れた。

 ほかにも、同じく建物が崩壊の危機に陥ったり、スプリンクラーが誤作動した、あるいは断水によって人工透析が行えなくなったという複数の病院からの転院要請に対して、最大限応じた。その分、軽症患者をどんどん退院させるなどベッドコントロールも進めた。さらに、当院のヘリポートから、5名の患者さんを佐賀大学付属病院に航空搬送を行った。

国立病院機構熊本医療センターは、熊本県内に14ある災害拠点病院の一つ。ドクターヘリが待機できるヘリポートも備える。(提供:国立病院機構熊本医療センター)

 16日未明の地震を受けて、国立病院機構災害対策本部は、国立病院機構初動医療班を派遣することを決定し、当院に順次初動医療班を派遣した。初期のチームはDMATとして当院の災害対策本部支援および救急外来の診療支援を行った。国立病院機構初動医療班は速やかに益城町に救護所を立ち上げ、被災地での避難所支援と救護所業務を行い、現在も「国立病院機構医療班」として継続して救護所活動・避難所支援を行っている。

 結局、16日は夜間・救急対応だけで約300人が受診。翌17日日曜日には同じく夜間・救急対応だけで約200人が受診した。