2016年熊本地震の発生を受け、熊本市内に六つある基幹病院の一つ、国立病院機構熊本医療センター(550床、熊本市中央区)はどう動いたのか。院長の河野文夫氏からは震災対応に関する詳細なメモをいただいた。そのメモを元に構成した、院長の動きや同院の取り組み状況を紹介する。


国立病院機構熊本医療センター院長の河野文夫氏。

 当院の被害状況を先にお伝えすると、今回の地震に関し、2009年8月に新病院を建築していたのが幸いした。最新の耐震構造の全面建て替えを行っていたおかげで、病院本体の損傷は軽微で済んだ。

 病院のインフラで最も大事な水についても、当院は地下水を使用しているので、濁りはしたものの、ずっと利用でき、シャワー、トイレなどに不自由することはなかった。一時、飲用はできなかったが、それも浄水器を使うことで改善し、やがて濁りそのものが減少し、飲めるようになった。

 電気はごく短時間の停電に見舞われたが、すぐに自家発電に切り替わって事なきを得た。都市ガスは、やっと2週間後に復旧したが、その前に都市ガス会社にお願いしてLPガス(プロパンガス)を導入して米飯を患者さんに提供した。

前震で70人超が受診、34人の転院を受け入れ
 4月14日木曜日午後9時26分に最初の震度7の地震が起きた際、私は自宅にいた。当院では、夜間・休日に地震が発生した場合、本部職員は「震度5強以上」、職員は「震度6以上」の地震発生で自主参集、防災担当職員および宿舎入居者は「震度5以上」で自主参集となっている。そこで、私も自分の車で病院に駆けつけた。この時、自宅や、病院までの市街地で、停電はなく、信号も正常であった。

 午後10時半までに病院に到着。既に多くの職員が病院に参集していた。地震発生を受けて当直の管理当直者は、午後10時にはマニュアル通りに暫定災害対策本部を作り、各病棟、各部署からの被害の報告を受けているところであった。そこへ私が到着し、暫定災害対策本部を直ちに正式へ切り替え、災害対策医療活動の統括に当たった。

 災害訓練の時と同様に、正面玄関部分をトリアージエリアにし、外来受付部分を軽症患者診療エリア、待合スペースを中等症患者診療エリア、救急外来を重症患者診療エリアとし、救急患者の受け入れに備えた。軽症、中等症のエリアには、薬剤部が臨時調剤所も設けた。

 程なくして、ウォークインや救急車で、体調が悪くなった患者や怪我をした患者が次々と運ばれてきた。当院は、熊本市内に六つある基幹病院のうち、最も揺れの激しかった益城町から一番遠い熊本市西部に位置する。そのせいもあってか、近くに住む軽症者が比較的多くを占めた。それでも、朝までに70人超が受診し、うち14人が入院した。その中の1人は意識不明の重体だった。

 一方、ライフラインが途絶したK病院およびH病院から、計34人の転院要請があり、受け入れた。当院のベッド数は550床で、通常はおおむね490床ほどが稼動している。それが地震後の入院患者受け入れで、この日の在院患者数は530人に上った。

国立病院機構熊本医療センターのFacebookページより

 こうした当院の動きとは別に、国立病院機構では、地震直後の午後9時41分に機構本部に災害対策本部を設置、併せて現地対策本部を当院内に立ち上げた。熊本県にもDMAT調整本部が立ち上げられ、4月14日23時19分に熊本県内のDMATに出動要請があり、当院のDMAT2チーム(計医師2名、看護師4名、後方支援3名)は熊本赤十字病院に立ち上げられたDMAT活動拠点本部に向かい、15日未明から夕方にかけて、被害が大きい益城町へ支援に向かった。災害医療センター(東京)と大阪医療センターに設置された厚生労働省DMAT事務局のDMATチームも直ちに熊本県庁DMAT調整本部の支援を行った。

 トリアージエリアに訪れる患者が次第に減少したのに伴い、4月15日午前3時ごろには臨時に設置した器材類を片付けて撤収し、通常の救急外来体制とした。その後、私は自宅に戻った。

手術室は10室中2室が損傷、MRI 1基も使用不可に
 翌4月15日金曜日は、通常より救急患者が多かったものの、職員は淡々と仕事をこなし、院内は平穏を取り戻しつつあった。ところが、4月16日土曜日午前1時25分に、再び最大震度7の地震が発生して、状況は一変した。