普段は診ないような外傷例を数えきれないくらい対応
 どれくらいの数の患者を診たのかは正直なところ覚えていない。とにかく数えきれないくらいの患者を診た。ほとんどが外傷症例だったため、普段は診ないような骨折症例も循環器内科チームの私たちが対応することになった。必要に応じてレントゲンの撮影もその場で実施した。

 最初に診たのは20代女性。倒れてきたテレビの下敷きになり腰椎骨折しており、歩行できなくなっていた。あとは、外人旅行者の女性。中国系米国人で、見た目は日本人だが日本語が全く通じず、私が呼ばれた。この患者は熊本駅近くのホテルに宿泊していたらしく、日本にきて2日目だった。地震で動いてきたテレビでわき腹を打ち、肋骨を骨折していた。「日本ではこんなことがしょっちゅう起きるのか」と聞かれた。あとは翌週出産予定だった妊婦も診た。頭部を強打したらしく、異常がないことを確認した上で冷湿布を渡した。

 明け方になると、さらに怪我人が運び込まれてきた。この日は明け方5時まで休みなく対応した。

明け方になると、さらに患者が運び込まれてきた。(本震時の様子、提供:済生会熊本病院)

 震源地となった益城町は私たちの病院からは離れていたこともあり、翌15日はいつもと変わらず、外来患者を診察していた。ただし、しばらくは救急対応が必要ということで、予定していた手術や検査は全てキャンセル。翌週月曜日から通常の診療体制に戻し、手術は火曜日から再開できるように手配した。

 気象庁が14日と同程度の規模の余震が今後起こる可能性について発表していたため、翌週に手術を移動した症例に対しては、余震の規模によっては手術が中断される可能性があることも伝えるようにした。

 地震発生から1日経った15日夜にはようやく救急対応も一段落。病院正面に臨時設置された救急外来の器材は全て片付けられ、緊急災害対策本部を撤収することになった。


5キロ離れた病院に自転車で駆け付け…
 私も翌週からの診療再開のめどがついたので、自宅に帰ることにした。14日の地震以降、帰宅できていなかったので2日ぶりの帰宅だった。22時には自宅に帰り着いた。水、電気、ガスも問題なく使用できていた。家族と「おつかれさま」と乾杯して食事をし、労をねぎらった。

 その後、ゆっくりとお風呂にも入り、ようやく一息つけたところに本震が発生した(2016年4月16日 1時25分頃にM7.3の地震が発生)。自宅内のものは散乱し、停電してしまった。自宅内の安全を確認した後、私はすぐに自転車に乗り、5キロ離れた病院に駆け付けた。

 私が病院に到着したときには既に多くの医師が動き始めていた。14日と同様に、緊急対策本部もまた立ち上げられ、再び撤収した器材が持ち込まれ、トリアージブースも再度設置されていた。

 14日よりも地震の規模が大きかったためか、2日前の地震では倒れなかった医局内の本棚も倒れていた。院内のスプリンクラーも誤作動し、私の部長室があろうことか水浸しになってしまった。ただし、電気については自家発電が作動していたため、困ることがなかったのは幸いだった。

 前回よりは病院への職員の集まりは悪かった。14日の地震対応が一段落し、「これで終わりだろう」と油断しきっていたところに地震が起きたため、大怪我をしてしまった職員も少なくなかったようだ。中には自宅が全壊、半壊した職員もいたようだった。こういった人たちはもちろん病院に来られない。

 ただし、16日の本震が起きたときも、できなくなった医療行為はなかった。一時的に電子カルテが使用できなくなったが、やがて自家発電が作動したことで院内のインフラは通常通りに稼働できていた。

 本震時も14日と同様に、循環器内科チームからは26人ほどの医師が集まっていた。患者は14日よりは多い印象ではあったが、十分に対応できており、むしろ医師が余るくらいだった。対応した救急患者像も14日と同じで外傷例が多かった。

16日の本震後、再度、病院正面に救急外来を設置し、治療を行った。(提供:済生会熊本病院)