4月14日と16日に熊本県で起きた震度7の地震を受け、被災地に全国から災害派遣医療チーム(DMAT)が派遣されている。16〜18日に掛けて、国立病院機構災害医療センター(東京都立川市)内にあるDMAT事務局で本部長を務めた藤沢市民病院(神奈川県)救命救急センター長の阿南英明氏に、震災発生直後にDMATはどのように動いたのかを聞いた。


あなん ひであき氏○1991年新潟大卒、藤沢市民病院内科・救急科を経て2006年から藤沢市民病院救命救急センター副センター長に就任。2012年から現職。日本DMAT研修インストラクター(厚生労働省) 。東日本大震災のときにも日本DMAT事務局本部で支援に携わっていた。

 4月16日に起きた2度目の地震で、被災地の状況は大きく変わった。最初の地震では被災状況は一部の地域に限局しており、DMATの派遣は熊本県を含む九州地域からだけで対応ができると判断していた。

 だが、16日の深夜に生じた本震で、被害は大幅に拡大。被災範囲が広く、被災者の数も多いことからDMAT事務局は全国からのDMATの派遣を決めた。現地へのヒアリングで被害状況を確認しながら、まずは周囲地域のDMATに派遣を要請。そして、現地に指揮系統を構築する必要性から、14日からDMAT事務局で指揮を取っていたDMAT事務局次長の近藤久禎氏(災害医療センター病態・蘇生研究室長)が急遽、現地へ向かうことになった。

 私は事前に、いつでも呼び出しに応じると伝えていたこともあり、16日朝にはDMAT事務局から本部長への就任要請があった。要請を受けて、国立病院機構災害医療センター(東京都立川市)内にあるDMAT事務局に駆けつけたところ、この時点ですでに九州地方の県からはDMATが派遣され、被災地支援は本格化していた。

自衛隊機に乗せるDMATを急遽招集
 この日に安倍晋三首相が「全国的に被災地を支援する」と発言し、これに応じる形で防衛省が自衛隊機での支援を決定。医療支援にあたるDMATにも、北海道、東北、関東の駐屯地・基地から自衛隊機への同乗について打診があった。「関東では本日16時の便にDMATが同乗可能です」「東北・北海道ではそれぞれ40人(5人ずつ8チーム)のDMATが同乗できます」などと声が掛かり、指定の時間までに駐屯地に向かえるチームを急遽募集。メンバーの性格を考慮しリーダーを決め、それぞれチームを編成した。

 事務局では自衛隊機や民間機で九州に入ったDMATの移動手段として、車の手配を進めた。熊本・大分の両県と連絡を取り、継続して派遣されるDMATの支援が途切れないようインフラを整備。加えて現地の情報伝達の仕組みと指揮体系構築の整備をサポートした。

 現地入りしたスタッフは、急性期診療や患者の搬送はもちろんのこと、情報を伝達する仕組みづくりや物流のサポート、避難所の設置やその衛生管理など様々な取り組みを担った。JMATや医療機関から派遣される医療救護班が現地で本格的に活動を始められるまでにはだいたい1週間かかる。これら支援団体が入るまでの空白を埋めるのが現地のDMATの役割だ。本部では、その現地の取り組みを全面的にサポートする役目を担う。

 DMATは統率力を持って支援に取り組めるよう、日ごろから訓練を積んでいる。現地には各区域ごとの支援本部を設け、避難所で実際の支援にあたる医師に指示を出す。その支援本部の上に、熊本県と大分県の本部を設け、さらにその上に東京都立川市で指揮を執る本部を設置している。

 状況報告や人・物品の要望などは直近の支援本部にのみ報告し、報告を受けた本部が調整して対応する。各区域の本部で解消できない問題が生じれば、さらにその上層部に事情を報告し、調整を依頼。さらにそこでも調整ができないものについて立川の本部が調整するという仕組みになっている。

迅速な組織構築で支援を無駄なくスムーズに
 情報伝達の仕組みと指揮系統をできるだけ早く構築することが、被災地支援を無駄なく迅速に実施するためのポイントになる。加えて、被災地全体の状況と支援状況を的確に把握し、調整する組織を早急に構築しないと、過不足なく人的リソースや物品を供給することはできない。

 本部のスタッフには、現場に口を出さないようにし、現地のニーズを拾い上げてそれに応えるように人的物的支援をすることに徹するよう指導。各層の本部にしっかりと管理・調整責任を担ってもらい、あくまでサポートに徹するという立場で対応することを求めた。

 こうした被災地における組織、指揮系統の構築が滞ることなく進められたのは、東日本大震災の教訓を活かした教育・訓練の賜だろう。