薬の配送を行う卸のMSと違って、MRに何ができるのだろうか─。多くのMRがそう考えた。「医療機関を訪ねても邪魔になるのではないか」と心配するMRもいた。しかし、「何もできないけれど、せめて医師が診療に専念できるように手伝おうと思って動いた」と山本氏。同社のMRたちは、とにもかくにも医療機関を訪問し「困っていることはありませんか」と声を掛け、できる範囲で足りないものを届けることにした。

 最初、現場で特に求められたのは文具だった。薬については、薬局や診療所から持ち出されて使われていた。また、卸が早い段階から薬の供給を再開したこともあって、普段処方している薬がなくて同効薬を処方したり、処方日数を制限する必要はあったが、「どうしても必要な薬がない」というケースは少なかった。

 ただ、処方箋を書く筆記用具がなかった。「紙やペンを求められることが多かった。付箋やクリアファイルも喜ばれた」と橋場氏と山本氏は口をそろえる。製品名の入ったサービス品の文具を、あちこちに配達した。

 さらにMRたちは本社から届いた水や食料、使い捨てカイロなども届けた。家にあった、使っていない石油ストーブを届けたMRもいた。

カルテを拭き続けた2カ月間
 物資だけでなく、労力、つまり人手も求められた。診療を再開できるよう片付けを手伝ったMRや、別の場所で診療を始める医師のために、機器や備品を運んだMRも多かった。

 山本氏は、宮城県多賀城市にある仙塩総合病院で、津波に浸かったカルテの泥を落とす作業を行った。同病院は、カルテを置いてあった1階部分が浸水。水が引いた後、カルテは泥まみれになっていた。「家から古いタオルを持参し、カルテを一枚ずつ拭いた」と山本氏。午前中は同病院でカルテを拭き、午後は別の医療機関を回るという生活を、震災後約2カ月続けた。

「がんばろう東北」のベストを着て、医療機関の支援に取り組んだMRたち。左から橋場貴行氏、山本純也氏、大塩芳郎氏。MRたちの活動に対し複数の医療機関から感謝状が贈られた。

 最初は、ノバルティス ファーマのMR2人で始めたが、山本氏らが他の製薬企業のMRにも声を掛け、多くのMRが協力した。同病院は、震災を機に電子カルテを導入したが、山本氏らが拭いたカルテの医療情報が電子カルテに移行された。7月には同病院から同社へ感謝状が贈られている(写真)。

 “情報”も求められた。薬の情報でいえば、同効薬の一覧表が必要とされた。処方し慣れていない同効薬を使わざるを得ないケースが多く、医師たちが用法・用量や禁忌などを知る必要があったからだ。普段は、自社製品以外の薬の情報を提供することのないMRだが、書籍などから一覧をコピーして医師に届けた。

 薬の情報以外に、誰がどこで、どんな医療活動を行っているかという、地域の医療提供の最新状況についての情報も求められた。

 宮城県東松島市で津波の被害に遭いながらも、避難所でいち早く診療を始めた石垣クリニック内科・循環器科院長の石垣英彦氏は、「情報が入ってこない中、MRが『あそこの医療機関が診療を再開した』と伝えてくれる情報は貴重だった」と語る。

 「営業部がトップダウンで指示を出したわけではなく、各MRが現場で判断して、自発的に活動した」と大塩氏。当初は、製薬企業から医療機関への利益や労務の提供を規制する公正競争規約を気にする向きもあった。しかし、「こんな緊急時、お世話になっている先生方が困っているのに何もしないわけにいかない」(山本氏)と多くのMRが考えたのだ。現場のMRたちの思いを受けて、「『こんなことがやりたい』と言ってきたら、それを実現できるようサポートした」と大塩氏は話す。