3月11日の巨大津波に4階までのまれ、多くの犠牲者を出すとともに、機能停止に陥った岩手県立高田病院(陸前高田市)。Vol.1、2で紹介した震災当日と翌日の記録に続き、救助された翌日からの医療スタッフの奮闘を、院長の石木幹人氏に振り返ってもらった。
(まとめ:久保田文=日経メディカル)


着任後、高齢者医療に力を注いできた岩手県立高田病院の石木幹人氏。

 救助された翌日から、米崎コミュニティセンターは“臨時の高田病院”となった。われわれのことを聞きつけたかかりつけの患者数人がその日に、14日には15〜20人が受診に訪れ、被災を免れた医療機関などから何とかかき集めた医薬品を1日分か2日分だけ処方した。

 同日、市の職員の車で避難所など市内全域を見て回った。ほとんどの避難所では、震災翌日から日本赤十字社のチームが医療支援を展開していた。われわれは、米崎コミュニティセンターと支援が入らず孤立していた地域をカバーしようと、視察中にたまたま会った医療業者をつかまえて、医薬品や医療機器を調達してくれと頼み込んだ。医院を流され、避難所で呆然としていた地元開業医にも「頑張りましょう」と声を掛け、医薬品や医療機器が届くようにした。その後は全国から医療支援チームが集まり、震災1週間後には、市全域の医療ニーズにおおむね対応できる体制ができた。

震災後、長期休暇を断行
 その直前、病院のある医師が過労で倒れた。その医師から「被災したのはわれわれも同じだ」と言われ、返す言葉が見つからなかった。多くの職員は内陸にある診療所の空きベッドに寝泊まりしながら、不休で働いていたが、家を流され、家族が見付からない人もいたのだ。

 そこで色々なつてを使って代替の医師やスタッフを集め、3月20日から2週間、職員に休暇を与え、私自身も休もうと決めた。その間、一部の職員が医薬品の長期処方ができる体制と、血液検査などが行える体制づくりに奔走してくれ、休暇明けには薬局と検査室が整った。

米崎コミュニティセンターにある“臨時の高田病院”の外来受付。薬局や胸部X線検査室、医局なども備え、院内は整然としている。

 入院機能がなくなったこと、被災者が交通手段を失ったことから、休暇明けの4月4日からは訪問診療を充実させる方針となった。保健師や看護師が聞き取り調査を行った結果、もともと月20人程度だった在宅患者は約100人に増加。訪問診療は既に病院職員だけで回れる体制ができ、6月からは保険診療とした。また、外来診療も病院職員だけで運営するめどが立ち、7月から保険診療に切り替える。さらに7月下旬には近くに仮設診療所が立ち上がる予定だ。

 今後の高田病院についても考え始めている。かつての病院は病床が埋まらず、長期入院する高齢患者の多くが寝たきりだった。2004年に院長に着任してから私は、ここでは一般的な疾患をある程度のレベルで診て、対応が難しい場合に急性期病院や専門病院に送る機能分担が必要だと考えてきた。また、高齢患者は急性期を脱してもADLが落ちるため、リハビリが重要だ。

 そこで着任後から、運動器リハや脳卒中後のリハに加え、呼吸器リハ、嚥下リハも実施。理学療法士や作業療法士などの増員も図ってきた。在宅患者の増悪時の後方病床になれるよう、在宅や施設にいる高齢患者の情報を登録し、開業医と共有する体制も構築中だった。

 近々立ち上がる仮設診療所に加えて、数カ月以内には入院機能を復活させたい。病床は在宅医療や急性期病院退院後の受け皿として何としても必要だ。そして新たに立ち上げる病院で、道半ばだった理想の高齢者医療を具現化したいと思っている。(談)