4階まで浸水した病院、寒さと不安に耐えた長い夜

岩手県立高田病院医師 上野正博氏

 あの日私は外来を終え、4階病棟に上がってナースステーションにいたときに地震に遭いました。病室の様子を見に行こうとしましたが、ひどい横揺れで立っていることもままなりません。2度にわたる長い揺れが収まってから病棟を見回り、入院患者の人工呼吸器が正常に動いているか、点滴台が倒れていないかなどを確認しました。幸い、入院患者は全員無事でした。

うえの まさひろ氏
2003年東北大卒。岩手県立中央病院で初期、後期研修を修了。10年から現職。好きなタレントは中川翔子。

職員の叫ぶ声で津波を知る
 地震直後は津波が来ることなど頭にありませんでした。ところが、しばらくして防災無線のスピーカーから「津波が防波堤を越えました」という放送が流れ、その音声が途切れたかと思うと、4階海側の病室から「津波が来るぞー、上へ上がれ」と大声で叫ぶ職員の声が聞こえてきたのです。

 私は地震による病院の被害状況を記録するため、2階医局からカメラを取って4階へ戻り、余震に備えて移動しやすいよう患者の点滴を抜き、ロックして回っていたところでした。他の職員も、1階にいた患者や病院の周囲から避難してきた住民を4階や屋上へ誘導していました。

 病室の窓から外をのぞくと、真っ黒い壁のような津波が、砂煙を巻き上げながらものすごいスピードで迫って来るのが見えました。津波は街をのみ込み、海岸沿いの高田松原がまるで歯が欠けるようになぎ倒されていくのです。私はとっさにカメラを構えました。第2波、第3波になるにつれて津波の水位はどんどん上昇し、撮影を始めて1分後には2階までが完全に水没。入院患者と屋上に避難した後、最上階の4階も1.5mほどの高さまで浸水しました。

 しばらくして水が引いてから私たちは、屋上に上がってきていなかった患者や職員の捜索・救出に向かいました。中には、エアマットごと水に浮いて助かった筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者と、その患者に対してマットにつかまりながら顔と手を水面から出し、バッグバルブマスクでひたすら人工呼吸を続けていた医師もいました。死亡が確認された遺体は、瓦礫を撤去した病室に運び込んで安置しました。

「夢だったらいいのにね」
 結局、屋上に避難できたのは患者と職員、避難住民など約170人。携帯電話はおろか、ラジオも入らず、衛星電話も電池切れで使えません。雪が降る厳しい寒さの中、私たちには食料も毛布もありませんでした。浸水しなかったポリ袋やオムツ、燃えそうな木片などを4階病棟からかき集め、防寒のためにポリ袋を被ったり、患者にオムツを巻きつけたり、屋外で火をたいたりしてひたすら寒さに耐えました。

東日本大震災から約3カ月後、6月7日時点の陸前高田市中心部と高田病院(編集部撮影)。

 日が落ちてからも幾度となく余震が襲い、その後には津波なのか、「ザーッ」と川の流れるような音が聞こえました。暗闇の中で、職員と「夜が明けたら『実は夢だった』なんてことならいいのにね」と話したのを覚えています。この夜ほど、時がたつのが遅いと感じたことはありません。残念ながら、翌朝までに低体温症などで死亡した患者もいました。

 寒さと不安で一睡もできずに朝を迎え、海の方を見ると、憎らしいほどきれいな朝焼けが広がっていました。約1時間後に自衛隊のヘリコプターが屋上に近づき、現状報告のため最初に副院長がつり上げられて救助されました。

 一夜明けた院内は天井が落ち、壁が抜け、至る所にガラスの破片が散乱し、階段には松の大木が刺さっているなどぐちゃぐちゃです。私たちは本格的な救助に向けて、院内通路の確保や遺体の捜索を始めるとともに、4階の比較的被害が小さかった病室を片づけて寒さや雨風をしのげる部屋を作り、住民などを移動させました。

 その後はヘリコプターが来るたびに、患者を地上に下ろしては一度に1人、2人ずつ救助してもらうという搬送作業の繰り返し。自衛隊や岩手県のドクターヘリに加えて、富山県のヘリコプターまで救助に駆け付けてくれたときには、うれしくて涙がこぼれました。最後に私たちが救助されましたが、その日のうちに全員が助け出されたのは幸運なことでした。

震災後、病院の在宅患者は従来の4倍以上の約100人に増えた。上野氏は1日8人ペースで訪問診療に奔走する。

 私を含め、病院職員は救助された後、やや高台にあって被災を免れた米崎コミュニティセンターへと避難。翌13日から、副院長がかき集めてきてくれた医薬品を使い、細々と診療を始めました。その後、医療支援チームの数が日増しに増え、医薬品も徐々に充実しました。仮設住宅への入居に伴い避難所が閉鎖されつつあるため、現在は訪問診療と外来診療が主体です。

 昨年、地域医療をやりたいと高田病院に赴任した際は、正直、何年ここで働くかまで考えてはいませんでした。しかし、陸前高田市はもともと医師不足の地域。震災で死亡した開業医もいます。長期に支援してもらえる医師を探すなどしていますが、簡単ではありません。今回の震災を経験し、まだまだこの地を離れるわけにはいかないなと感じています。