「手厚い医療支援の提供が長く続けば、住民はそれに慣れてしまう。そうなれば、元の体制に戻しにくくなる」と西澤氏。津波の被害が大きかった今回の震災では、外傷に対する急性期医療ではなく、慢性疾患を抱える患者の診療が中心となった。加えて、震災による人口減に伴い患者数も減ったほか、志津川病院に元々いた常勤医5人はそのまま残ったため、地元の医療提供体制を早期に立て直せば、医療支援に頼らず自力回復を図れると考えたわけだ。

4月18日に開設された志津川病院の仮設診療所には、1日に200人ほどの患者が来院する。

 同町の避難所は6月24日時点で80カ所、避難者も4500人弱に上り、5月の状況とそれほど変わっていない。それでも、通院が可能な慢性疾患の患者が主なので、医療支援チームが撤退した後も大きな混乱はないという。通院の“足”として、町が各避難所などと仮設診療所を結ぶ巡回バスを4月中旬から運行し始めたのも、円滑な自立を実現できた大きな要因となった。現在は同町の保健師が各避難所を回り、患者の状態を管理。保健師が「診療が必要」と判断すれば、患者に仮設診療所にかかることを勧めている。

 また、イスラエルの医療支援チームが3月28日から4月10日まで滞在し、大規模避難所となった総合体育館「ベイサイドアリーナ」の隣に仮設診療所を開設したのも幸いした。同チームはX線診断装置や超音波診断装置、心拍モニターなどを持ち込み、診療所のプレハブと一緒にこうした医療機器を全て残して撤退したため、志津川病院がそれを引き継ぐ形で外来診療を再開できた。

自力復興にめども懸案も多く
 ただ、志津川病院が早期に復旧した一方で、6カ所あった民間の診療所のうち5カ所は診療を再開できていない。本来なら地元の診療所の復旧は、震災から自立するための重要な条件となる。しかし現時点では、同病院の仮設診療所で外来患者の診療を十分カバーできているという。人口が減少し、それに伴って外来患者数も減ったからだ。とはいえ今後も人口が元に戻らなければ、診療所が診療を再開した際、志津川病院の外来機能とのすみ分けが課題となる可能性もある。

 さらに、診療環境が決して良いとはいえない仮設診療所の建て替えも課題だ。冷暖房装置がない上、待合や診察室も手狭なため職員、患者の双方に不便が生じている。同じ敷地内により大きなプレハブを建てる案が出ているが、その費用をどう工面するかも全く決まっていない。

 「今はある程度の人数の医師が勤務し、十分な医療を提供できているが、このまま劣悪な環境で診療を続けなければならなくなると、いずれ辞めていく医師が現れかねない」と西澤氏は不安をのぞかせる。南三陸町は元々、医師不足が深刻な地域。それに拍車がかかる可能性もあるという。

 このほか新病院はどこに建設すべきか、人口が減る中、病床数はどの程度整備すべきかなど、自力復興の歩みを始めたとはいえ懸案事項は少なくない。「3〜5年かけてしっかり計画を立てていく」(西澤氏)考えだ。