東日本大震災から4カ月余り。被災地では医療復旧への動きが本格化してきた。ただ、その進捗状況には差が出つつある。「日経メディカル緊急特集●ルポ 東日本大震災 奮闘する医療現場 Vol.1〜Vol.8」(4月28日〜5月19日掲載)でリポートした宮城県と岩手県の被災地の医療提供体制の現状を再取材した。


 外来だけでなく町唯一の病院の入院機能も復活させた宮城県南三陸町、一部地域で医療復旧の見通しが立たない宮城県石巻市、震災後に表面化した在宅患者の受け皿不足に悩む宮城県気仙沼市、従来の在宅医療中心の医療提供体制の復興にめどが付いた岩手県釜石市─。

 東日本大震災で大打撃を受けた各被災地は、医療の再建に向けて懸命の努力を続けている。医療支援チームが完全に撤退し、被災を免れた病医院や新設された仮設診療所を主体として、震災前に近い医療提供体制に戻りつつあるところも出始めた。ただ冒頭に記したように、復旧の進捗状況は被災地によってまちまちだ。

 復旧の度合いを左右する主な要因としては、(1)地域の病院・診療所の再開や仮設診療所の新設状況(2)震災前の医療提供体制の違いや機能分担の程度(3)震災後の患者数の増減などを加味した医療ニーズの大きさ─などが挙げられる。気仙沼市のように震災後、在宅医療という新たな医療ニーズが掘り起こされ、それをいかに地元の医療提供体制に組み込むかで苦悩する被災地も見られる。こうした事情から、医療の復旧状況は必ずしも被災規模に比例していない。各被災地の医療は今、どこまで復旧し、どのような課題を抱えているのだろうか。

宮城県南三陸町
 6月1日、南三陸町で唯一の病院だった公立志津川病院が、隣町の登米市にある市立よねやま診療所(5床)の空き病棟に病床をオープンした。同診療所は、旧公立志津川病院から20kmほど内陸にある。新設されたのは一般病床27床、療養病床12床の計39床で、震災前の126床(一般76床、療養50床)の約3分の1の病床数だが、大津波で全壊した岩手県と宮城県の自治体病院の中で入院機能を復活させたのは現時点で志津川病院だけだ(表1)。

表1 岩手県、宮城県の自治体病院の病床休止状況
※登米市のよねやま診療所の建物内で運営。いずれも6月末時点。

 同病院事務長の横山孝明氏は、「遠くは山形県に避難した当病院の入院患者もいて、『早く地元に戻りたい』という要望が多かった。看護師などの医療従事者の雇用を維持することも課題となっていた。そのため、全国の医療支援チームが南三陸町の医療を支えてくれている間に開設準備を急ごうと考えた」と語る。

志津川病院の新しい病床(39床)は登米市のよねやま診療所の建物内にある。

 隣接市の最も近い病院でも車で1時間ほどかかるため、町内に入院機能が必要だと考えた南三陸町は、震災から2週間ほどたった3月末に病棟再開を検討し始めた。壊滅的な被害を受けた町内には、適当な施設・場所がなく、他市町村に候補地を探した。すると、2005年に9町が合併してできた登米市から、よねやま診療所の空きスペース提供の提案があった。

 同診療所は一般病床53床のよねやま病院として運営されていたが、市町村合併を機に今年4月から有床診療所として運営されることになっていた。登米市は、南三陸町に5年間限定で病棟を無償貸与する予定だ。町外などに避難している入院患者を中心に受け入れ、6月下旬時点で一般病床はほぼ満床。今後、一般病床の入院患者の状態をみながら療養病床への転棟を図る考えだ。

宮城県災害医療コーディネーターを務めた西澤匡史氏は、医療支援からの早期の自立を目指してきた。

早期自立で住民の慣れ防ぐ
 南三陸町は市街地の48%が浸水し、人口1万7000人余りに対して死者・行方不明者数は1000人を超え、震災の影響が最も大きかった地域の一つだ。にもかかわらず、最大で20チームが現地入りしていた医療支援チームも、他の被災地に比べてかなり早い4月末に撤退。それと並行して、4月18日には志津川病院が仮設診療所をオープンした。

 早期の自立を実現できた一因として、志津川病院の内科部長の西澤匡史氏が震災後に宮城県から災害医療コーディネーターを委嘱され、医療支援チームの調整などを一手に担ったことが挙げられる。南三陸町は気仙沼市や石巻市に比べて人口が少なく、町の規模は小さい。西澤氏は、震災前の地元の医療提供体制や患者の状態を把握できているので、どの時点でどんな医療が必要か機動的に判断し、実行に移せたという。