透析患者らの受け入れも
 徳洲会はこのほか、今回の震災で、TMATの派遣といった前線での活動だけでなく、被災地患者の受け入れという形でも支援を展開した。

 「できる限り被災地の患者を受け入れよ」という徳田虎雄理事長の指示の下、3月23日、徳洲会は緊急対策会議で、全病院がスペースの許す限り患者を受け入れる体制を敷くことを決定した。厚生労働省の通知によって、各施設の許可病床数を超えて受け入れても、診療報酬が減額される懸念はなくなっていた。

 被災地やその周辺の病院では、透析や手術などの診療機能がダウンしていたところが幾つもあり、患者の受け入れ先探しが大きな課題となっていた。徳洲会は透析患者など100人以上を、関東や北海道などのグループ病院で受け入れた。

TMAT去った後の医療は…
 こうしたTMATの活躍の裏で、本吉病院は病院存続の危機に立たされた。3月20日頃、同病院院長は辞表を机に置き、ひっそりと病院を後にしていたのだ。診療機能はTMATが引き継いでいたため直接的な影響はなかったが、もう1人の医師もその前に退職しており、常勤医師がゼロになってしまった。

 気仙沼市は同市立病院の医師を急きょ院長に就任させた。しかし、本吉病院の関係者は「院長の就任は便宜上のこと。TMATが去れば、人口1万1000人の町の医療が抜け落ちてしまうことになる」と危機感をあらわにする。

 しかし、支援はいつまでも続かない。南三陸町からも本吉地区からも、TMATは5月初旬をもって引き上げることになった。気仙沼市から本吉病院への医師の派遣が決まり、南三陸町も仮設診療所での診療が再開されたことを受けての決定だ。「地元の医療がある程度復旧すれば、TMATの役割はそれで終わる」とTMAT事務局。

 地元住民は病院の存続を願うが、どれだけの人がこの地で暮らしを再開するか見通しがつかず、病院の再建計画は白紙のままだ。TMATが去った後も、被災地には試練が待ち受けている。