南三陸町で支援を行ったTMAT医師の村山弘之氏。「1週間以上薬が飲めなかったせいで重症に陥っていた患者もいた」。

 この先遣隊の一員だったTMATの医師・村山弘之氏は、「われわれが到着した時点では、行政もこの地域の実情をほとんど把握していなかったと思われる。物資がなく道も途絶した中で、40カ所の避難所に散らばる9000人の住民を、手当たり次第に診療していった」と振り返る。

 しかし、当初TMATが携行した物資では、これだけの被災者をケアするにはとても足りなかった。「処方機会が多かった高血圧の薬も2種類しか持参しておらず、きめ細かい投薬は無理で、手元にあるもので急場をしのいでいた」と村山氏は語る。

 状況が改善したのは3月20日を過ぎた頃。徳洲会災害対策本部や国などからの支援物資が届くようになり、日常診療の医療ニーズをカバーするだけの体制は構築できた。

 ただ、患者の病状把握ができるまでは投薬に慎重にならざるを得なかった。例えば、糖尿病患者への投薬は特に慎重を要した。「避難所生活で食事が乏しくなり、通常通りの服薬をしていれば低血糖を起こす恐れがあった。患者の情報や栄養状態がある程度整ってから、徐々に処方する方式にした」(村山氏)。

水没した市立本吉病院のカルテは、泥にまみれた。

町唯一の医療機関を維持
 TMATの活動拠点となっているもう一つの地域、気仙沼市本吉地区には、この地域唯一の医療機関である市立本吉病院(38床)があった。ここも津波で1階が完全に水没。職員と入院患者は2階に逃げて無事だったが、カルテや機器などは水没・流出し、診療機能停止に追い込まれた。

 ところが、直後から津波で薬を流されたり体調を崩した患者が大勢押し寄せた。普段は60人程度しかいない外来患者は、4倍にも膨れ上がった。病院に残っていた職員で応対していたが、人手が圧倒的に足りなかった。

 ここへTMATが入ったのは震災から3日後の14日。気仙沼市の要請を受けてのことだった。全診療をTMATが引き継ぎ、訪れる外来患者の診療と、入院患者の管理に当たった。翌日からは避難所の巡回診療も手掛け、数百人を診療した。医師や看護師が3〜4人、薬剤師や検査技師なども合わせると10人前後が常時、病院の一室に寝泊まりしながら診療し、地域唯一の医療チームとして被災地の医療を支えた。

気仙沼市本吉地区にあある本吉病院。1階が天井近くまで水没し、TMATが入るまで院長がほぼ1人で診療を行っていた。

 患者は慢性疾患が圧倒的に多かったが、肺炎や消化管穿孔などによるショック、心筋梗塞の疑いなどの患者も発生。治療手段がないため、全国の徳洲会病院から持ち込んだ救急車で内陸の病院まで搬送した。また、震災後からワルファリンの服用を中止していた患者に、今年3月に発売されたばかりでまだ本吉病院には納入されていなかった抗血栓薬ダビガトランを取り寄せて投与するなど、グループのバックアップをフルに活用した。

 同病院の看護師は感謝の気持ちを込めてこう語る。「この病院の医療は、TMATが入って今まで以上に充実した」。これまで同病院には2人の医師しかおらず、対応できる疾患も限られていたのだという。皮肉にも、震災がこの地域の医療レベルを一時的に引き上げたのだ。