DMAT、JMAT、日本赤十字社…。今回の震災では、様々な医療支援チームが被災地に入った。それらの多くは、国や県、医師会などのバックアップを受け、大規模な活動を展開した。そんな中、こうした組織に引けを取らない医療支援活動を行った医療法人がある。全国に66カ所の病院を擁する日本最大の医療機関チェーン、徳洲会だ。

 今回の震災で徳洲会は、法人内の医療者で組織する徳洲会医療救援隊TMAT)と呼ばれる災害医療チームを派遣。その人数は、4月20日時点で延べ772人に上った。

震災後に押し寄せた患者への対応で疲弊した職員に代わり、TMATの医療チームが診療を一手に引き受けた。

阪神大震災でTMAT誕生
 TMATは、阪神・淡路大震災の際に同会の医師がボランティアで救援活動を始めたことがきっかけで生まれた。隊員は災害医療のトレーニングを受けた医師、看護師、薬剤師、検査技師などの医療スタッフで構成され、これまで国内外で様々な活動を行ってきた。昨年1月に起きたハイチ大地震、3月のチリ大地震でも現地で活動した。

 今回も、TMATは素早い動きを見せた。地震発生から約1時間後の3月11日16時すぎ、千葉県の四街道徳洲会病院から医師ら3人のTMATが、宮城県の仙台徳洲会病院に向けて車で出発。その日の夜には同病院に到着して支援活動を開始した。他のグループ病院からも続々と派遣が行われ、3月12日9時の時点で6チームが同病院に参集していた。同病院の救急医療をサポートした後、翌日には宮城県沿岸部の支援に向かった。

 その後TMATの派遣は、東京の徳洲会本部から一括で移送する方式に移行。夜23時に全国各地から集まった職員がマイクロバスに乗り込み、高速道路を使って翌朝に仙台に到着するという光景が、4月末まで毎日見られた。

 今回は被災地域が広範で徳洲会のスタッフだけでは人員不足が予想されたため、インターネットや海外の医師コミュニティーなどを活用した公募による支援者の募集も実施。他の医療法人や米国などの医療者も数多くTMATとして被災地入りした。

 また、支援チームの人員を一部ずつ交代する方式を採用しているのがTMATの特徴だ。通常の医療支援チームは派遣期間が終わればメンバーが一斉に交代することが多い。しかしTMATはせっかく得られた医療情報などが交代によって断絶しないよう、残ったメンバーが新しいメンバーに十分な情報伝達を行い、医療の継続性を担保するようにした。

 今回TMATが活動を行ったのは、宮城県沿岸部にある気仙沼市階上(はしかみ)地区、気仙沼市本吉地区、南三陸町、岩手県大船渡市の4カ所。このうち、階上地区と大船渡市は避難者の減少とともに地元の医療機能が復旧したため4月1日までに活動を終了したが、残りの本吉地区と南三陸町は引き続き医療ニーズが高く、4月以降も継続した。

宮城県南三陸町最大の避難所となった「ベイサイドアリーナ」。TMATが入った後も日赤やイスラエルの支援部隊など多数の医療チームが駆け付けた。

「全壊戸数7割」の地へ
 津波による被害が最も大きかった地域の一つ、南三陸町。建物の4階まで濁流に飲み込まれた公立志津川病院や、屋上に逃げた人さえ流された防災庁舎が鉄骨むき出しの姿を無残にさらけ出している光景がたびたび報道された。

 住宅の7割以上は津波で流され、同町の総合体育館「ベイサイドアリーナ」は、1200人を超える被災者でひしめき合っていた。志津川病院の医師・西澤匡史氏が、ほぼ1人で避難者の診療をカバーしていたという。しかし、薬剤も枯渇し、診療にも手が回らない状態に陥っていた。

 ここに医療支援チームとしていち早く駆け付けたのがTMATだった。気仙沼市で開かれた医療支援チームのミーティングで地元の医師らから「南三陸町の様子が全く分からない」との声が上がり、状況把握を任されて3月16日に現地に入った。