被災地には全国から数多くの医療支援チームが駆け付けた。彼らは被災地の医療をいかに支えたのか。気仙沼市で繰り広げられた在宅医療支援と病院支援の2つのケースを紹介する。


日本プライマリ・ケア連合学会の東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)の一員として、気仙沼市で訪問診療を行った本輪西ファミリークリニックの草場鉄周氏。

 震災から約1カ月たった4月8日の朝、本輪西ファミリークリニック(北海道室蘭市)院長の草場鉄周氏は、地図を片手に軽自動車で気仙沼市郊外へ向かった。唐桑半島の先端に住む男性患者は震災前まで、近くの診療所の訪問診療を2カ月に1度受けていた。ADLが低下したこともあり、今は週に1度、医療支援チームによる訪問診療を受けている。草場氏は、1時間ほど掛けて患者の褥瘡や胃瘻などの状態を丁寧に診察。褥瘡治療のために摂取カロリーを増やしてはどうかと家族に提案し、経腸栄養剤を処方した。

 草場氏は日本プライマリ・ケア連合学会東日本大震災支援プロジェクトPCAT)の一員として気仙沼市の医療支援に参加した。「患者の正確な体重が把握できない、血算検査が行えないなどの不自由さはあるが、ほぼ日常と同じ水準の在宅医療が提供できている」と感想を話す。

 被災地はどこも、震災前と同水準の医療提供体制を取り戻すのに必死だ。そんな中気仙沼市では、全国から集まった医師や看護師などによって、新たな在宅医療の体制が築かれようとしている。

震災で在宅医療ニーズが急増
 気仙沼市は元々、全国平均に比べて在宅看取り率が低い在宅医療の“未開拓地域”。気仙沼市立病院の横山成邦氏(Vol.4参照)は、「共働きで家族介護が十分にできない家庭も多く、在宅医療への住民の意識も薄かった」と話す。気仙沼湾に浮かぶ大島を除き、3カ所の在宅療養支援診療所と訪問診療を行う2カ所の診療所があったものの、在宅患者は全体で50人弱。市内には訪問看護ステーションもなく、介護サービスの利用で何とかつないでいた寝たきり患者も少なくなかった。震災により、5カ所の診療所のうち3カ所は診療不能に陥り、市外の訪問看護ステーションも全壊。在宅医療の提供体制は、風前の灯となった。

気仙沼在宅支援プロジェクトの立ち上げに関わったたんぽぽクリニックの永井康徳氏は、医療支援のため2回にわたり気仙沼市に出向き、滞在日数は約3週間に上った。

 一方で震災により、在宅医療のニーズは急増。震災後、横山氏らが市内を見て回ったところ、被災を逃れた家屋に多くの高齢者が残っていた。中には、停電で電動ベッドが動かせず、起きたままの状態で数日を過ごして褥瘡が悪化した患者や、電動の吸引機が使えなくなり、家族がチューブを口で吸ってかろうじて痰を吸引していた患者もいた。こうした患者の状態は、寒さや低栄養で悪化。さらに、震災を機に急激にADLが低下して廃用症候群に陥ったり、重度の褥瘡ができたりした高齢者も多かった。

 「これからは在宅医療への対応が急務だ」─。横山氏らがそう感じていたとき、愛媛県医師会のJMATとしてたまたま気仙沼入りしていたたんぽぽクリニック(松山市)理事長の永井康徳氏と出会った。永井氏は在宅医療専門の診療所や訪問看護ステーションなどを運営するいわば在宅のプロ。2人はその日のうちに市役所や市の医師会長などの了承を取り付け、翌日の3月25日には「気仙沼在宅支援プロジェクト」を立ち上げた。同プロジェクトでは、自宅など避難所以外で生活する寝たきり患者などを探し出し、必要な医療や介護サービスを提供する。

ある夫婦は寝たきりの母親1人だけを抱えて津波から逃れた。自宅は流され、親戚宅に身を寄せながら気仙沼在宅支援プロジェクトの訪問診療を受けている。

 まず行ったのが患者の掘り起こしだ。市役所が被災し患者データが失われたため、市の関係者の記憶を頼りに患者の所在をとりまとめた。医療支援チームは自宅で生活する被災者の聞き取り調査を開始。避難所を巡回診療する医師らからも避難所周辺の患者情報を収集した。永井氏によれば、「今拾い上げているのは、要介護度4か5で褥瘡などがある患者」。4月下旬までに、定期的な訪問診療が必要な患者は70人に上った。