1880年の官営製鉄所の操業以来、「製鉄の町」として栄枯盛衰を経験してきた岩手県釜石市。同市は1970年代以降、鉄鋼不況などの影響で合理化の波に翻弄され続けてきた。

 医療もその例外ではなかった。町の衰退で人口が減り続ける中、過剰となった病床数を削減するために2007年、釜石市民病院(当時250床)を県立釜石病院(272床)に統合した。その一方で推進したのが、市内に複数ある病院の機能明確化と在宅医療の普及だった。

釜石のぞみ病院は浸水で停電、高齢の入院患者が低体温症などに陥り死亡するケースも。診療は再開できていない。

倒壊危機で病棟を一部閉鎖
 県立釜石病院が急性期医療を、せいてつ記念病院(119床)などが回復期を、市民病院の跡地に開設された釜石のぞみ病院(154床)や国立病院機構釜石病院(180床)などが維持期と慢性期を担い、急性期から慢性期まで切れ目のない医療システムを構築した。さらに3カ所の在宅療養支援診療所がオープンし、在宅医療の提供体制も充実。これにより、患者が病院から退院しても安心して自宅に住めるようになり、逆に急性増悪したら地域の病院で受け入れ、状態に合った医療サービスを受けられる体制が整えられた。

 この取り組みは順調に進んでいた。在宅療養支援診療所の一つである釜石ファミリークリニックは、350人もの在宅患者を抱えるまでになっていた。県立釜石病院も10年には、地域医療の確保に重要な役割を果たし、かつ、経営の健全性が確保されている病院として自治体立優良病院総務大臣表彰を受けた。

釜石市に隣接する大槌町にある県立大槌病院は、浸水により診療機能がすべて停止した。

 ところが、順風満帆だった釜石の医療提供体制を大震災が打ち砕いた。人口3万9119人に対して死者・行方不明者は1300人以上、自宅が被災して避難した人は5000人以上に上った。同じ医療圏の大槌町は町全体が壊滅状態となり、多くの避難者が釜石に身を寄せた。

 釜石ファミリークリニックの在宅患者は、350人のうち100人以上が死亡したり内陸に避難したりした。残った患者も多くが避難所生活を余儀なくされているという。

 加えて県立釜石病院も被災。丘陵地にあるため津波の被害はなかったが、入院病棟が古く倒壊の恐れが生じ、26床だけ残してあとは病棟を閉鎖しなければならなくなった。これに伴い、震災による救急患者を数多く受け入れる傍ら、約150人の入院患者を盛岡市の県立中央病院などに転院させた。また、大槌町にある県立大槌病院(121床)も壊滅し、再開のめどは立っていない。

「必ず在宅医療中心の医療提供体制を再構築させる」と話す釜石医師会の小泉嘉明氏。

 沿岸部にあり、市の慢性期医療を担ってきた釜石のぞみ病院も1階が浸水、入院機能は依然として停止している。震災直後は寒さで体力を失う患者が続出し、地震が発生した3月11日から22日までに入院患者13人が肺炎などで死亡したという。

 「慢性疾患の患者の居場所(自宅)も、急性増悪した際に一時的に入ってもらうところ(病院)もなくなってしまった」。釜石医師会会長の小泉嘉明氏はこう嘆く。