気仙沼市郊外の国道45号線沿いの光景。瓦礫の中に神社の鳥居だけが残る。

 漁港を中心に市街地が広がり、周囲を小高い山が囲む宮城県気仙沼市。地震後は津波に加え、流出した重油に引火して大規模な火災が発生。のどかな港町の風景は一変した。基幹病院である気仙沼市立病院(451床)は坂の上にあったため浸水せず、電気も震災直後に自家発電に切り替わった。しかし、電話が使えなくなり、医療機関との連絡が不能に。病院周辺の道路も水没し、震災直後は半ば孤立状態になった。

 同病院外科医長の横山成邦氏は、「被災者は救急車を呼べない上、道路も水没したので、患者は病院に来ることができなかった。震災当日の病院は静まり返っていた」と振り返る。その夜には最初のDMATが駆け付け、翌日には自衛隊が来て、トリアージテントを立ち上げた。

気仙沼市立病院の横山成邦氏。「ほぼ孤立した状態の中、震災の翌日に自衛隊が到着した際は心強く思った」と話す。

 2日目以降は患者も増加。ただし、搬送されてくるのは軽症者か死者ばかり。緊急の治療が必要な患者はほとんどいなかった。震災から3日目に2台あった自家発電装置の片方がオーバーヒートし、人工呼吸器や帝王切開など最低限の医療だけしか行えない状態に陥ったものの、5日目には通電し外来を再開。高血圧や糖尿病、狭心症などで薬が切れた患者が殺到し、受診者数は1日当たり1500〜2000人に達した。

患者数は平常時並みに回復
 外来を再開し、病院の外に目を向ける余裕が出てきたことから、横山氏ら同病院の医師たちは瓦礫の山の中、市内の状況を徒歩で見て回った。すると被災を免れた家屋に、体力のない高齢者が多く残されていることが判明した。訪問診療に取り組んでいた診療所も被災していたことなどから、在宅医療への対応が急務だと直感。JMATの医療支援チームとして愛媛県から気仙沼市に入っていたたんぽぽクリニック(松山市)の永井康徳氏らと、在宅医療のプロジェクトを立ち上げた。

医療支援の拠点となっている気仙沼市の市民健康管理センター。ホワイトボードには、市内20カ所以上の避難所の救護所や巡回診療を担当する医療支援チームが記され、毎日更新される。

 約1カ月が過ぎ、気仙沼市立病院の外来患者数は平常時の水準に戻りつつある。病院機能の回復を支えているのが、全国から集まった医療支援チームだ。震災後、宮城県の災害医療コーディネーターを委嘱された同病院脳神経外科科長の成田徳雄氏の調整の下、各都道府県や大学、医療法人などから派遣されたチームが市内20カ所以上の避難所をカバー。避難所の救護所や巡回診療で、軽症者の治療や薬剤の処方に当たっている。医療支援チームは各避難所で精神ケアが必要な患者を拾い上げ、巡回診療する「心のケアチーム」に患者を紹介する役目なども担っている。

気仙沼市の市民健康管理センターでは毎朝、市内の避難所の救護所運営や巡回診療を行う医療支援チームが集合してミーティングが開かれる。