宮城県内沿岸部の病院から多くの患者を受け入れ、被災地に物資や人員を送り続けた東北大病院。病院長の里見氏は、医療提供体制の復興には、ハード面とソフト面での対策が欠かせないと説く。


里見進氏
東北大病院長 先進外科学分野教授

 今回の揺れは1978年の宮城県沖地震の比ではなく、発生直後は当病院が災害医療の最前線になるだろうと覚悟した。すぐに災害対策本部を立ち上げ、玄関付近にトリアージエリアを設置。電気も自家発電へ切り替わった。幸い、院内の患者と大部分の職員は無事だった。

 中央手術室などが被害を受けたが、救命救急センターなどに3カ所の手術室をどうにか確保。震災後4日間で1000人程度が受診したが、患者数は想定をはるかに下回った。宮城県沖で将来必ず起きるといわれていた大地震に備え、建物の耐震補強が進み、倒壊などによる外傷患者が出なかったせいだろう。

 3日ほどたち、関連病院に勤める医師からの情報で沿岸部の惨状が徐々に明らかになった。それ以降は院内の職員に対し「沿岸部の病院が最前線だ。とにかく裏方に徹しよう」と言い続けた。われわれが最後の砦だという自負もあった。

 石巻や気仙沼は大変な状況で、場所によっては情報すらほとんど得られない。病院から応援部隊を出そうと、東北大全学部から運転手付きでマイクロバスをかき集めた。全国から医薬品や食料を調達、公立、民間関係なく、被災地の病院であればどこへでも、要望に応じて物資や医師などを送った。足りないものはたくさんあったが、職員の誰もが知恵を働かせて対処してくれた。

 沿岸部の病院機能が麻痺するのを防ぐため、患者受け入れにも力を入れた。石巻赤十字病院や気仙沼市立病院など被災地の基幹病院には、「どんな患者でも100%引き受ける」と宣言し、受け入れ窓口を副院長に一本化。患者の性別と年齢、疾患名さえ教えてもらえれば、昼夜を問わずこちらが診療科間で調整して患者を受ける体制を立ち上げた。透析患者を含め、1日100人超の患者を受けたこともある。こうした体制を維持するため、軽症や治療の終わった患者には早めの退院に協力してもらい、稼働させていなかったものも含めて常時100床以上のベットを空けておいた。

 同時に、避難所での医療支援も急務だと知り、全国の大学病院などに医療支援チームを送ってくれとお願いした。準備後に次々とチームが被災地入りしたが、需給のミスマッチが起きて一部地域では過剰に集まってしまい、早々に引き揚げるチームもいた。今考えると情報が全くない中で駆け付ければこうした事態になるのも当然。急性期の段階では仕方なかったと捉えている。

 ただし、今回の震災では避難所生活が長期化することが予想された。急性期を過ぎてもなお、医療支援チームがばらばらとやってきては効率が悪い。そこで宮城県の災害医療コーディネーターであり私の教室の出身者でもある石巻赤十字病院の石井正氏と相談。県の災害対策本部に掛け合って、長期間活動できる医療支援チームに特定の地域の運営を任せる体制を整えた。今では県が需給を調整し、足りないところは東北大などが各大学に声を掛ける流れができている。東北大としては、眼科や耳鼻科、精神科などの医療支援チームを編成し、学会や医師会と連携して巡回診療も行っている。

 今後、われわれが考えなければならないのは地域医療のあり方だ。交通網が発達した現在、昔のように各市町村が病院を持つ意味は薄れている。病院を集約し高機能化して医師も手厚く配置できるように、ゼロから図面を描くことが重要だろう。また、医療人材の流出への対策も必要だ。多数の医療機関が被災し、多くの看護師などが職を失って他の地域に流出する恐れがある。研修医が激減することも予想される。できるだけ早く彼らに安心感を与え、将来の医療を担うリソースの流出を防ぐことも欠かせない。(談)