DMAT、活躍の場面少なく
 迅速さという意味では、医療は適切に対応できたといえるだろう。災害医療派遣チームDMAT)や日本赤十字社など公的な支援制度に基づく医療チームのほか、日本医師会の災害医療派遣チーム(JMAT)、民医連徳洲会日本プライマリ・ケア連合学会などからも多数の医療者が現地に駆け付けた。津波の被害がなかった東北大病院や岩手医大病院など内陸の病院は、沿岸部からの重症患者を受け入れるなど、広域搬送による救援体制も機能した。

 ただし、課題も残った。こうした体制は、質的な面で実際に生じた医療ニーズとかけ離れていたからだ。

 特にDMATの動きが象徴的だ。DMATは阪神・淡路大震災を教訓に、災害直後の「防ぎ得る死」を減らすべく整備された。そのため、主に想定されていた活動内容は、建物に体を長時間挟まれたことによるクラッシュ症候群や外傷の治療、および重傷者の広域搬送といった、超急性期の医療だった。しかし、前述したように今回のような津波による被害ではそうした患者は少なく、避難所や病院に集まるのは軽症患者ばかり。せっかく集まった医師たちが“実力”を発揮できる場が限定されてしまった。

 JMATの一員として震災から2日後に気仙沼市に入った、姫野病院(福岡県大川町)救急総合診療科部長の永田高志氏は、「傷病者が少なく、ニーズの多い慢性疾患に対応したが、私自身は救急医で外科系であり処方の選択に迷うことも多かった。現場では、内科に精通したプライマリケア医が必要だと痛感した」と語っている。

 もっとも、地震発生の翌日にはおよそ1300人もの医療者が救援に参集したことは、システムとして一定の対応力を実証したといえる。現地の医療ニーズとのマッチングをいかに迅速に行うかが、DMATを含めた災害医療体制の今後の課題だ。

指揮系統に混乱も
 日医のJMATは、こうした慢性期の医療ニーズに応えるべく、今回新たに組織された。医師1人、看護師2人、事務職員1人の4人で構成されるJMATは、4月21日の時点で642チームが派遣され、145チームが今後の派遣に向けて準備中だ。

 ただ、JMATにも混乱が生じ、3月下旬に日医はJMATの派遣を一時休止した。被災地には県が派遣要請したチーム以外の医療者なども相当数入り、医師会による状況把握が困難になりつつあったからだ。

 宮城県医師会の広報担当者は、「医師会が把握している医療支援チーム以外に、個人のボランティア医師などが多数入り、医療面の支援全体の統制を取るのが難しくなった。避難所などで医療支援チームがバッティングするといった事態も生じたため、派遣の一時休止を日医にお願いした」と語る。現地できめ細かくチームを差配するには、指揮系統の整理が必要となったわけだ。

 こうした問題に対処するため、政府は4月22日、今後の中長期的な支援を統括する「被災者健康支援連絡協議会」を設置した。協議会は、日医など医療・介護団体で構成され、医療支援チームの中長期的な派遣、感染症対策など被災者の健康確保に必要な取り組みなどを一元的に管理するとしている。

 震災から40日以上が経過し、ようやく被災地の医療支援の整理が行われることになるわけだが、“一元化”で更なる指揮系統の混乱が生じる恐れもある。

避難所では多くの被災者が生活を続ける。写真は宮城県気仙沼市の総合体育館「ケー・ウエーブ」。