震災による死の恐怖から逃れた避難者数は一時40万人以上に及んだが、避難所などではさらなる苦難が被災者たちを待ち受けていた。電気、水道、ガスといったライフライン断絶の長期化、食料や燃料の不足だ。真冬並みの冷え込みも重なり、低体温症や低栄養に陥る避難者が増加。高齢者施設から避難所に移動する途中で、多数の入所者が死亡した事例も報道された。

 津波で溺れたときに海水を飲み、その海水に含まれていたガソリンなどの汚染物質により肺炎津波肺)を発症した避難者も少なくなかったようだ。避難所の狭い空間で長い間過ごしたため、肺塞栓症にかかる人も出つつある。

 当初は医薬品などの供給も思うようにいかず、慢性疾患を抱える避難者を苦しめた。三陸沿岸の医療機関では、備蓄していた医薬品は津波でほとんど流された。道路の分断などによる孤立地域の出現、医薬品卸の営業拠点の被災、人員やガソリン不足による配送不能などのため、全国各地から送られた医療物資も各避難所になかなか届かなかった。

 日ごろ飲んでいた薬を服用できない避難者が続出したほか、薬剤があっても在庫に限りがあるため数日分しか処方してもらえない状態が続いた。

「まるで野戦病院のよう」
 津波は病院機能も粉々に砕いた。岩手県の県立山田病院(山田町)や県立大槌病院(大槌町)、宮城県の石巻市立病院、公立志津川病院(南三陸町)といった、それまで地域医療を担ってきた沿岸部の基幹病院が浸水により軒並み機能不全に陥った。その影響は福島県や茨城県の沿岸部の病院にも及んだほか、内陸部でも建物が損壊して診療停止に追い込まれた病院が多数あった(前ページ図1参照)。

 さらに追い打ちをかけたのが、福島県の大熊町と双葉町にまたがって位置する東京電力・福島第一原子力発電所の事故だ。原子炉の冷却機能が失われて放射性物質が漏れ、半径20km圏内は避難地域、半径20〜30km圏内は屋内退避(後に自主避難勧告)地域となった。これに伴い、福島県立大野病院や双葉病院(ともに大熊町)、双葉厚生病院(双葉町)などは閉鎖された。

 加えて電気やガス、水道などのライフラインが長期にわたって広域で断絶し、医療機関の機能を制限。初期診療を担う地域の診療所の再開は遅れ、その分、被害の少なかった中核病院に患者が集中した。

 石巻赤十字病院では、「同じ市内の石巻市立病院が津波の被害で機能停止したため、連日約1000人の患者が来院して野戦病院のような状態になった」(日本赤十字社企画広報室)。支援に入った日本赤十字社の救護班は、急きょ屋外に仮設の診療所を設置して対応することを余儀なくされたほどだ。

 石巻地区のある中核病院の医師によると、「機能停止寸前だろうと、通院したことがなかろうと、とにかく診療を継続している病院へ患者さんが押し寄せた。事前の相談とか、悠長なことを言っていられる状況ではなかった」という。

日赤、DMATが続々現地入り
 こうした状況を改善しようと、震災発生直後より全国から医療チームが被災地入りした(表1)。現地支援に向かった医療関連団体の中で、素早い対応を見せたのは日本赤十字社だ。即座に災害対策本部を法人内に設置し、全国各地の赤十字病院などから調査隊および救護班を派遣。地震発生当日には30チーム以上が被災地に向けて出発した。

表1 被災地支援に関する主な医療関連団体の動き(特に記載がない場合は3月23日時点)
(*クリックすると拡大表示されます)