2011. 3. 31
*本記事は4/10発行の日経メディカル4月号に掲載予定の記事です
「生か死か」─。津波が多くの命を一瞬にして奪った。沿岸部を中心に多数の病院が機能不全に陥った。全国から集まった医療者が支援に当たるも、医療提供体制の再構築には時間がかかりそうだ。
死亡者数1万1063人、行方不明者数1万7258人(3月29日時点、図1)。3月11日に起こった東日本大震災は東北から関東まで広範囲に影響を及ぼし、多くの犠牲者を出した。
「病院脇の川に(地震による)津波が遡上しているようです」
八戸市立市民病院(青森県)の救命救急センターに勤める千葉大氏は地震発生直後、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のFacebookのページにこうつづった。同病院は岩手県との境に位置し、八戸港からは4kmほど内陸にある。
同じく三陸沿岸に位置する岩手県陸前高田市や宮城県南三陸町などは、大津波で町全体が壊滅状態となった。
死亡者の約90%が溺死
「今回の地震は1995年に発生した阪神・淡路大震災と異なり、津波の被害が甚大だ」。両震災において救援活動に携わった兵庫県保険医協会事務局次長の小川昭氏はこう話す。阪神・淡路大震災では建物の損壊がひどかったが、東日本大震災では家屋が丸ごと津波に飲み込まれて跡形もない状況が各地で見られたという。
こうした特徴は、死亡者の死因にも見て取れる。千葉大法医学教室教授の岩瀬博太郎氏が陸前高田市の死亡者126人の死因を調べたところ、80〜90%が津波による溺死と推測された。約80%が建物倒壊による圧死や窒息死だった阪神・淡路大震災と比較すると対照的だ。津波に巻き込まれることなく避難できた被災者には外傷は少なく、生死がはっきり分かれたことがうかがえる。
小川氏はさらにこう説明する。「阪神・淡路大震災では被災地から徒歩で避難しても、被害が少なく物資も豊富な都心になんとかたどり着けた。しかし、東日本大震災は被害が広範囲にわたる上、被災地と中核市はかなり離れており避難しにくく、救援物資も届けにくい」。
2011. 3. 31
震災による死の恐怖から逃れた避難者数は一時40万人以上に及んだが、避難所などではさらなる苦難が被災者たちを待ち受けていた。電気、水道、ガスといったライフライン断絶の長期化、食料や燃料の不足だ。真冬並みの冷え込みも重なり、低体温症や低栄養に陥る避難者が増加。高齢者施設から避難所に移動する途中で、多数の入所者が死亡した事例も報道された。
津波で溺れたときに海水を飲み、その海水に含まれていたガソリンなどの汚染物質により肺炎(津波肺)を発症した避難者も少なくなかったようだ。避難所の狭い空間で長い間過ごしたため、肺塞栓症にかかる人も出つつある。
当初は医薬品などの供給も思うようにいかず、慢性疾患を抱える避難者を苦しめた。三陸沿岸の医療機関では、備蓄していた医薬品は津波でほとんど流された。道路の分断などによる孤立地域の出現、医薬品卸の営業拠点の被災、人員やガソリン不足による配送不能などのため、全国各地から送られた医療物資も各避難所になかなか届かなかった。
日ごろ飲んでいた薬を服用できない避難者が続出したほか、薬剤があっても在庫に限りがあるため数日分しか処方してもらえない状態が続いた。
「まるで野戦病院のよう」
津波は病院機能も粉々に砕いた。岩手県の県立山田病院(山田町)や県立大槌病院(大槌町)、宮城県の石巻市立病院、公立志津川病院(南三陸町)といった、それまで地域医療を担ってきた沿岸部の基幹病院が浸水により軒並み機能不全に陥った。その影響は福島県や茨城県の沿岸部の病院にも及んだほか、内陸部でも建物が損壊して診療停止に追い込まれた病院が多数あった(前ページ図1参照)。
さらに追い打ちをかけたのが、福島県の大熊町と双葉町にまたがって位置する東京電力・福島第一原子力発電所の事故だ。原子炉の冷却機能が失われて放射性物質が漏れ、半径20km圏内は避難地域、半径20〜30km圏内は屋内退避(後に自主避難勧告)地域となった。これに伴い、福島県立大野病院や双葉病院(ともに大熊町)、双葉厚生病院(双葉町)などは閉鎖された。
加えて電気やガス、水道などのライフラインが長期にわたって広域で断絶し、医療機関の機能を制限。初期診療を担う地域の診療所の再開は遅れ、その分、被害の少なかった中核病院に患者が集中した。
石巻赤十字病院では、「同じ市内の石巻市立病院が津波の被害で機能停止したため、連日約1000人の患者が来院して野戦病院のような状態になった」(日本赤十字社企画広報室)。支援に入った日本赤十字社の救護班は、急きょ屋外に仮設の診療所を設置して対応することを余儀なくされたほどだ。
石巻地区のある中核病院の医師によると、「機能停止寸前だろうと、通院したことがなかろうと、とにかく診療を継続している病院へ患者さんが押し寄せた。事前の相談とか、悠長なことを言っていられる状況ではなかった」という。
日赤、DMATが続々現地入り
こうした状況を改善しようと、震災発生直後より全国から医療チームが被災地入りした(表1)。現地支援に向かった医療関連団体の中で、素早い対応を見せたのは日本赤十字社だ。即座に災害対策本部を法人内に設置し、全国各地の赤十字病院などから調査隊および救護班を派遣。地震発生当日には30チーム以上が被災地に向けて出発した。
2011. 3. 31
同法人の救護班の中には、仮設診療所を設置できるユニットを装備したチームも5チームあったほか、各救護班に衛星電話や無線を装備させ、相互に連絡できる体制を確保。地震で通信が遮断された状況でも、本部や現地支部からの指示を受けながら被災者の救援に取り組んだ。3月28日時点で延べ397チームが被災地に入り、今後も派遣を続けていく予定だ。
日赤と同様に、災害派遣医療チーム(DMAT)も早期から対応した。DMATは、阪神・淡路大震災の経験を踏まえて、厚生労働省主導で全国に整備されている。各地の災害拠点病院や中核病院から、医師や看護師などで構成されるチームが多数出動(図2左)。3月25日時点で延べ600チーム(約2400人)ほどのDMATが現地入りし、災害拠点病院での急性期医療や、避難所での巡回診療など、幅広い救護活動を担った。
ただ、日赤やDMATなどの素早い対応にもかかわらず、初期における現地での活動は困難を極めた。DMATとして地震発生当日に現地入りした、八戸市民病院救命救急センター所長の今明秀氏によると、「交通が寸断されていたほか天候も悪く、チームがなかなか被災地に入れなかった。自衛隊のヘリコプターでチームの医師が被災地入りしたのは翌朝だった」という。携行した医薬品などの物資もすぐ底を突き、診療は大きく制限された。
超急性期を担うDMATなどの役割が一段落した地震発生5日目の3月15日には、日本医師会が各都道府県の医師会の協力を得て、日本医師会災害医療チーム(JMAT)を派遣。現地では慢性疾患や感染症など日常診療に準じる活動が中心となりつつあり、その支援に名乗りを挙げた。常時100チーム(約400人)が活動する状態を保つとしている。
コメディカルの活動も活発化している。被災地の要請を受けて厚労省が派遣した保健師などのチームは日を追うごとに増加。3月23日時点で89チーム(317人)が被災者のケアに当たっている(図2右)。
透析患者や重症の入院患者など、現地の避難所や災害拠点病院で対応しきれない患者も多数発生した。こうした患者に対応すべく、動き始めた医療機関もある。全国に66カ所の病院を持つ医療法人徳洲会もその一つ。同会は徳洲会医療救援隊(TMAT)を派遣して現地で診療を行っているほか、被災地の透析患者など100人近くを、千葉徳洲会病院(千葉県船橋市)などグループ内の複数の病院で受け入れた。
同会の災害対策本部は、「被災地では十分な医療を受けることが困難な状況。当会では全国で計4000人の患者の受け入れが可能であり、できる限り協力したい」としている。
特例認める通知を多数発出
こうした現場の動きに呼応するように、厚労省はこれまで多数の通知を出した(表2)。多くが被災者への医療提供に関わるものだ。
被災地だけでなく全国の医療機関に関連する通知としては、被保険者証のない被災者の受診に関する取り扱いがある。被災者が氏名、生年月日、保険者の事業所名(国保などは住所)を申し出れば、保険証がなくても診療するよう通知。また、住宅が全半壊したり、主たる生計者が死亡・行方不明になった被災者については、医療機関は医療費の自己負担分を請求せず、審査支払機関に10割請求する形の措置が取られた。
もっとも、被災者の本人確認ができないまま診療した場合などは、医療費が支払われないのではないかといった心配もある。これについて厚労省保険局は、「医療機関の持ち出しにならないような措置を考えていく」としている。
このほか、全国的な医薬品の供給不足に備え、長期処方の自粛を医療機関に要請するとともに、医薬品や医療機器を医療機関同士で融通しても薬事法違反とならない旨を通知。被災地への派遣などのため一時的に職員数が減り、施設基準などが満たせなくなった場合でも変更の届け出や診療報酬の減額などが当面免除されるといった旨も通知した。
また、日本の医師免許を持たない外国人医師が被災者を診療しても違法ではないとする事務連絡も岩手、宮城、福島の3県に出された。
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工場被災で薬剤不足の懸念
震災の影響は、被災地だけでなく全国の医療機関にも及んだ。医薬品の供給不安である。
その一つが、甲状腺機能低下症の治療に用いられるチラーヂンS(一般名レボチロキシン)だ。同薬を製造するあすか製薬のいわき工場(福島県いわき市)が被災し、製造が止まった。同工場で生産している同薬はレボチロキシンの国内市場の98%を占め、他の薬で代替する方法も限られる。
甲状腺機能低下症の患者は全国に約60万人いるとされ、影響は大きい。服用できないと心機能の悪化など生命に関わる事態も発生しかねないため、厚労省も重大な関心を寄せたが、3月25日、同社はレボチロキシンの生産を再開したと発表。海外からの緊急輸入や他社への生産委託なども含めて供給にめどが立った。
このほか、同薬以外にも供給が不安視される薬が、厚労省に複数報告された。ただ同省医政局は、「いずれも代替薬があるなど、直ちに健康被害が生じる事態にはならない」と判断している。製薬会社や卸会社の流通網にも対策が講じられ、混乱は収束しつつある。
東京電力の電力供給不足によって3月14日から始まった計画停電も、関東近郊の医療機関に不安を与えた( 3月30日掲載の「計画停電で疲弊の色濃い医療機関」を参照)。病院や診療所の診療機能の制限や、在宅で人工呼吸器を使用したり酸素療法を実施している患者への影響などが懸念された。今のところ目立った医療事故は起きていないが、非常時における医療機関の準備態勢に再考を促す結果となった。
石巻赤十字病院には、寒さをしのぐために毛布やビニールシートに包まれた高齢の被災者が次々と運び込まれた(3月12日)。
写真提供:ゲッティイメージズ
被災地での診療体制が徐々に
震災発生から約1カ月がたち、被災地は徐々にだが落ち着きを取り戻しつつある。ライフラインの一部断絶や医療材料の不足、医療機器の浸水などにより依然として手術の実施を見合わせている病院は多いが、外来診療の再開や入院機能の正常化などにめどをつける病院が増えてきている。交通の遮断やガソリン不足のため被災地には物資がなかなか届けられなかったが、状況はだいぶ好転してきているようだ。
気仙沼市立病院では、被災地の急患をきめ細かくフォローする体制ができつつある。同病院呼吸器科の椎原淳氏によれば、市立病院がセンターとなり、主な避難所に設けた診療所がサテライト機能を担うようになってきたという。診療所に来院できない人たちを医師が巡回する体制も整備されてきている。
その一方で、混乱も生じている。日医は3月27日、JMATの派遣を一時休止すると発表。日医以外にも多方面からの支援が入っている中で、県医師会が医療面の支援を統制しきれず、被災地で医療班がバッティングするなどの問題が起き始めていたからだ。
また、避難生活における過労や環境悪化を原因とする震災関連死が高齢者を中心に増加しつつある。被災地の医療ニーズは新たな局面を迎えている。
立ちはだかる多くの障壁
被災地の医療提供体制は急ピッチで再構築されつつあるが、地元の病院が単独で通常診療を再開するにはほど遠い。懸命に医療に従事してきたスタッフの健康面やメンタル面のケアも今後必要になりそうだ。これは被災地の多くの医療機関、介護施設が抱える問題である。
さらに、津波で流され完全に機能を失った医療機関の復興はどうするのか。国は、被災した公立病院の復旧事業に関して費用の8割前後を補助金で賄う検討を進めているが、それ以外にもマンパワーの確保といった多くの問題が山積している。
被災地の医療供給体制の復旧にはまだ多くの障壁があり、ゴールまでの道のりは遠い。国を挙げての支援がより一層求められている。
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