福島第一原子力発電所に程近い福島県南相馬市は原発事故により、災害対策基本法に基づいた警戒区域と緊急時避難準備区域、指定区域外の3つに分断された。緊急時避難準備区域は9月30日に解除されたものの、原発事故の影響は今もなお続く。そんな中、福島第一原発から約24km離れた市内中心部にある原町中央産婦人科医院の理事長であり、同市医師会長の高橋亨平氏は、震災直後も自院に残り被災者の診療に当たった。震災後の患者の状態や同市の医療提供体制の現状などについて語ってもらった。
(まとめ:豊川琢=日経メディカル)


原町中央産婦人科医院の理事長であり、南相馬市医師会長の高橋亨平氏。

 私は3月11日の東日本大震災の発生以降、18日まで診療を続けていったん避難しました。ですが、ほとんどの診療所や病院が休止した中、残された被災者は誰が診るのかと考えると居ても立ってもいられず、22日に自院に戻って診療を再開しました。

 当院は産婦人科の有床診療所ですが、高血圧など様々な持病を持つ患者を受け入れ、多いときには1日100人以上の外来患者を診察しました。当院以外に薬剤を処方してくれるところがなかったため、そのまま放っておいたら倒れてしまいそうな高血圧患者がたくさんいたほか、肺炎で入院を余儀なくされた患者も4人いました。

 しかし、流通が完全にストップしてしまったため、当院もすぐに医薬品などの不足に見舞われました。悩んだ私は福島県に掛け合い、卸から県庁に医薬品を納入してもらってそこから自衛隊に運んでもらうルートをなんとか確保しました。

 医薬品不足と並んで深刻な問題だったのが、医療従事者の退職です。当院には看護職員や事務職員、清掃員などの職員が20人ほどいましたが、震災発生翌日の12〜15日に起きた福島第一原発の爆発を機に退職が相次ぎ、10人程度にまで減ってしまいました。その状況は今でも変わらず、人手不足で帝王切開手術すらできるかどうかという状態です。

機械的に設定された避難区域が“命取り”に
 こうした状況下で政府や県は、支援の手を差し伸べてくれないどころか足を引っ張る始末でした。

 政府は原発事故を受けて3、4月に、避難指示区域や計画的避難区域、警戒区域、緊急時避難区域などを設定しました。ただ、それらは基本的に福島第一原発を中心とした同心円状に機械的に線を引いただけ。実際には、指定区域外の福島市の一部など、福島第一原発から離れていても南相馬市より放射線量が高い地域もあったのです。政府は放射線量を測定する手段を普段から準備していなかっただけでなく、データの開示も不十分でした。

 南相馬市は安易にこうした区域に指定されたことにより、大量の人口流出に見舞われただけでなく、9月30日に緊急時避難準備区域が解除された後も人口が通常に戻らない状態に直面しているのです。約7万2000人いた人口は一時1万人台まで減り、現在も4万人台までにしか回復していません。

 特に妊婦や子どもを抱えた若い世代が、他県などに移り住んでしまったケースが多く見られます。市内に戻ってきても、放射性物質汚染の影響を考慮して子作りを躊躇する夫婦も少なくないのではないでしょうか。震災発生後、当院では20件ほどの分娩を扱いましたが、震災以前よりも大幅に減っています。市内に5カ所あった産婦人科の医療機関のうち診療を再開しているのは、震災から8カ月たった今でも私の診療所だけです。2カ所あった小児科の診療所も、患者の来院が見込めないなどの理由から依然として休止しています。

 医療従事者にも若い職員が多かったので、40カ所弱ある病院・診療所はどこも人手不足に陥っており、現在診療を再開できているのは20数カ所にとどまっています。再開したところも、病床や診療時間を制限している例が大半です。