複数の医療法人で構成される戸田中央医科グループは、戸田中央総合病院(埼玉県戸田市)など25カ所の病院のほか、6カ所の介護老人保健施設や関連事業部門を1都4県で展開している。同グループは4月20日から7月8日まで、グループ職員から希望を募り、岩手県山田町の県立山田病院において被災地の医療支援に当たった。
 支援活動の内容や今後の災害医療への取り組みなどについて、医療法人柏堤会の理事長であり、同グループ副会長の横川秀男氏に語ってもらった。(まとめ:豊川琢=日経メディカル)


戸田中央医科グループ副会長であり、本プロジェクトリーダーの医療法人柏堤会理事長の横川秀男氏。

 戸田中央医科グループとして災害時に本格的な医療支援を行ったのは、今回の震災が初めてです。実は数年来、災害時にグループとして被災地を支援する仕組みを作ろうと検討を重ねていました。その最中に東日本大震災が起きたのです。さっそく、グループの主要法人の一つであり私が理事長を務める医療法人柏提会を中心とした、「TMG東北地方被災地医療支援プロジェクト」を立ち上げました。

 震災発生直後の急性期には、DMATや日本赤十字社の医療救護チームなど、日頃から災害医療の訓練を受けているチームが数多く支援に入っていました。これに対して私たちは、亜急性期から慢性期の長期支援を担うべきだと考えました。

 そんな折、4月初めに岩手医大がインターネット上で長期にわたって現地で医療を提供してくれる医師を募集していたのです。それまでの支援チームは4、5日単位でメンバーが入れ替わるのが一般的でしたが、それでは医療従事者と患者との間に信頼関係を築きにくく、患者がなかなか症状を訴えられない状況に陥ることが懸念されていました。その点、同じ医療従事者がある程度長い期間滞在すれば、こうした問題は解消できるわけです。私は当グループ全体で取り組めば、岩手医大の要望に応えられるのではないかと思いました。

常勤職員約7000人中約200人が派遣を希望
 当法人には国際医療ボランティアに長年携わってきた、戸塚共立第1病院救急・総合診療部部長の初雁育介医師や、戸塚共立第2病院救急部部長の安西兼丈医師がいます。2人は当法人に所属する以前から医療ボランティアに熱心に取り組んでいましたが、そのために長期休暇を取ることを許容してくれる職場がなかなかなく困っていました。そこで当法人では今から約4年前に、年に4週間ほど医療ボランティアに従事できることを約束して2人を雇用しました。当法人は、以前より医療ボランティアの重要性を認識していたからです。

 どこでどんな支援ができるのかを調べるため、4月6日に初雁医師が岩手県に行き、岩手医大や岩手県災害本部と打ち合わせをしました。結果、山田町への支援が県内で一番必要とされていることが分かりました。山田町には、津波で1階部分が天井まで浸水して診療ができなくなった県立山田病院があります。昭和大が震災発生3日後から、浸水を免れた山田病院の2階で診療をしていましたが、4月15日での引き揚げが決まっていました。私たち戸田中央医科グループはそれを引き継ぐことになったのです。

津波で診療が不可能になった県立山田病院。戸田中央医科グループは浸水を免れた2階で診療を続けた。

 準備期間は約1週間。まずは初雁医師と安西医師のほか、戸塚共立第1病院救急・総合診療部の佐々木美和医師に4週間交代で診療してもらうことにしました。さらに、被災地で医療支援に当たってくれる医師や看護師、事務員等をグループ内で募集。すると、約7000人の常勤職員のうち約200名から手が挙がりました。各病院の日常業務に支障がない程度に、4日間から1週間単位で山田町に順番で行ってもらう形にして、医師は2〜3人、看護師は1〜2人、事務員は2人が常駐する体制を整えました。

 医薬品や医療材料などは、全国から支援物資として山田病院に送られていたものがありましたが、当グループも可能な限り調達して持ち込みました。当初は当グループの患者搬送用車両や救急車で現地に向かい、公共交通機関が復旧してからは新幹線などで行きました。ありがたかったのは、横浜の老舗百貨店の岡田屋やフードサービス会社の(株)LEOCなどが私たちに惜しみない協力をしてくれたことです。準備期間が短い中、岡田屋は被災地に赴く私たちのユニフォームなど災害支援に必要な備品を迅速にそろえてくれた一方で、LEOCは支援チームの滞在中、社員を現地に多勢派遣して、私たちと山田病院スタッフ全員の食事を作ってくれました。2社の皆様方には心から感謝しています。