宮城県石巻市も津波で大きな打撃を受けた街の1つ。東京・文京区で在宅医療専門の診療所を経営する武藤真祐氏は「短期的な支援ではなく、地元が自立して医療を提供できる仕組みを作りたい」と、9月に石巻市に在宅専門の診療所を新たに開設する。その理由を語ってもらった。
(まとめ:山崎大作=日経メディカル オンライン)


むとうしんすけ氏○1996年東京大学医学部卒業、2002年同大大学院医学系研究科博士課程修了。東京大学医学部附属病院、三井記念病院、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、2010年1月より現職。 内閣官房IT戦略本部 医療分野の取組みに関するタスクフォース構成員、経済産業省地域新成長産業創出促進事業ソーシャルビジネス推進研究会委員等公職を歴任。

 私が、東京・文京区に在宅専門の診療所を開設したのは、2010年1月のことです。以来約1年半で、約540人の患者さんを診てきました。「医療のみならず、患者さんの生活全体を支えたい」という将来ビジョンを職員と共有し、真摯に患者さんと御家族に向き合い、地域の訪問看護師、ケアマネジャーとともに活動した結果、地域から支持と期待をいただけるまで成長したことは、大変ありがたいことと思っています。

 このまま、この地でよりよい在宅専門診療所を追求していくつもりでしたが、その考えは3月11日の大震災で、大きく変えざるを得なくなりました。震災直後は自らの責務を果たすべく、在宅患者さんへの医療継続とスタッフの安全確保に奔走していましたが、4月から遅ればせながら、「被災地に対して何ができるだろうか」と、何度か宮城県石巻市に入りました。

 4月には物資や人的援助は概ね充足している状態でしたが、5月に入ると少しずつ支援が引き上げられていくのが分かりました。5月に入っても、全国からの物資は避難所に積み上げられているものの、避難所におられる方々の心は「生きていてよかった」から「これからどうなるのだろう」との不安に変わっているようでした。

 特に高齢者は、ADLや認知機能の低下が目立ちました。避難所ならばそのような方々にも目が届きますが、仮設住宅に移ったときには、見逃されてしまう恐れがあります。一方、秋には、体育館型避難所は寒くなり、冬を越すのは到底不可能でしょうから、これらの高齢者の方々は避難所を出ざるを得ません。となれば、自立生活が難しい高齢者の方々への支援が不可欠です。そこで、「1戸1戸に目が届く在宅医療・在宅介護が、高齢者支援の有力な柱になりえるのではないか」「短期的な支援活動から、地元自身が自立し継続していける仕組みづくりへの転換が必要だ」との思いに至ったのです。

 「在宅医療を担う被災医師の支援」。これが当初、私が考えた被災地支援でした。そして私は幾人かの被災された開業医の先生方にお会いしたのですが、ある先生は建物もカルテも完全に流され、「再開は無理だ」と、早々に勤務医の道を選ばれていました。またある先生は、診療所の1階部分を埋めた瓦礫の山から患者のカルテを掘り出し、1冊ずつ泥をこそぎ取っては干し、何とか再開に向け頑張っておられましたが、その日々が3カ月を過ぎた頃、ついに「もうだめだ」と、再開を断念されました。「この瓦礫の中での3カ月の生活に、心が折れてしまった」。そうおっしゃり、石巻から去って勤務医の道を選ばれたのです。

 大変な思いをされた先生方にとって、「またゼロから開業する」という道は、並大抵の決意では選べません。しかし今、地元には在宅医療が必要とされているのです。そこで私は、自分で石巻市に開業することにしました。とにかく、まず必要なものを用意し、その先はいずれ、地元の先生に引き継がせていただこう。そう考えたのです。