「全国からの医療支援には本当に感謝している。しかし、こうした急性期型の支援はいつまでも続くわけではない。全国から来た多数の医師が被災者医療に当たってくれている、いわば夢のような状態から、医療過疎地の現実に戻ることになる。であれば、早い段階から計画的に住民の慢性疾患を担う医療に戻すべきだ」。

 こう語るのは、宮城県・南三陸町の医療を統括している同町医療統括本部責任者の西澤匡史氏(写真1)。5階建ての4階まで津波が押し寄せ、多数の犠牲を出した公立志津川病院で内科診療部長の任にあった。災害医療から慢性期医療へ舵を切ろうとしている西澤氏に、南三陸町の医療の現状と展望を聞いた。同氏の奮闘からは、災害医療マネジメントのあるべき姿が見えてくる。

(まとめ:中沢真也=日経メディカル別冊)


写真1 西澤匡史氏(右から2人目)と南三陸町医療統括本部スタッフ

 現在、私は南三陸町の医療に関連したすべての案件の統括管理をしている。全国から訪れる医療支援チームの統括指示や仮設診療所の運営から、保健師の配置、避難所の衛生の維持、住民全体の健康管理まで、一元化して指示を出している。

 災害医療ではこうした体制が不可欠だ。一元的な管理が実現できていないと、誤った情報が流れて混乱を招くことになる。統括責任者に大きな負担がかかると思われがちだが、事務方が情報収集を担当するなど、分担する体制を作っているため、うまく機能していると思う。

医療支援チームに避難所の情報収集も依頼
 震災後1週間を過ぎた頃から全国の医療支援チームが入ってきてくれた。それまでに医療関係者がいない避難所を把握していたので、そうしたところから重点的に支援チームを派遣した。避難所では診療とともに、重症患者がいるかどうかといった情報収集もお願いした。

 当時、通信環境が悪く、各避難所の状況は全く分からなかったが、医療支援チームに訪問してもらうことで、医療ニーズなどをつかむことができた。そうした情報に基づいて、巡回診療体制を敷くことができた。

 既に3月末からは新たな医療支援チームの受け入れは断っていた。支援チームが多いほど医師の数が増え、医療も充実すると思いがちだが、チームが増えると情報源も増えるため、一元化に非常に苦労することになる。

 そこで、各チームに地域を割り当てて巡回診療を行い、その地域の医療について責任を持ってもらった。災害初期には多発外傷や肺炎の患者が多く、トリアージを中心に行ったが、早い段階で慢性疾患患者への対応が中心になった。この段階では、週1〜3回などニーズに合わせて医療を提供すれば、住民のニーズを満たすことができた。

写真2 南三陸町の外来医療を担う仮設診療所。イスラエルの医療支援チームが残したブースや機材を流用した

 毎日、朝7時半から全支援チームを集めてミーティングを行い、連絡事項や変更事項を伝えた。夕方には1日の活動報告と報告書の提出を依頼、特に注意すべき患者や足りない医療資源、衛生材料についての報告を受けた。問題点については、報告時にチームごとに解決するようにした。

 ただし、個々のチームでは解決できない問題もある。例えばノロウイルス感染症の蔓延がその一つ。こうした全体にかかわる問題については、週1回、全支援チームが集まる「クラスターミーティング」で討議した。

急性期型の支援から慢性期医療に切り替え
 しかし、全国から医療スタッフが集まってくれる急性期型の支援はいつまでも続くわけではない。南三陸町は元々医師不足の地域であり、早い段階で、地元の力と中長期の支援で支えることができる現実的な状態に戻す必要があった。実際、早いところで4月末、遅いところでも5月末の撤退を表明しているチームが多かった。そのため当初から、地元医療機関が再開して安定した医療の提供が可能になり、町民の通院の足が確保された時点で、急性期型支援の受け入れを停止する考えだった。

 幸いなことにイスラエルの医療支援チームが3月下旬から4月上旬にかけて活動した後、医療ブースや機材をすべて当地に残していってくれたので、その設備を流用し、現地の開業医とも協力して、4月18日に仮設診療所を立ち上げることができた(写真2)。薬剤の供給も安定してきたので、この仮設診療所の開設を機に、災害医療から通常医療への移行を始めた。5月に入って町民バスの運行が再開され、通院も可能になった。