到着後、国境なき医師団での活躍が知られる名知仁子医師から避難所の状況説明を受け、彼女をリーダーとして、診療録の整備や看護師チームとの医療情報共有に関する協議、あるいは地元医療機関との連携促進のための書類整備がテキパキと進められた。

 当日は、石巻市立病院循環器科の赤井健次郎医師の避難所回診日と重なっており、個々の被災者の病状について詳細にうかがうこともできた。疾患としては高血圧・不眠・皮膚トラブル・胃腸障害・糖尿病が目立ち、上気道炎は思ったより少ない印象だった。

 石巻市立病院の病棟機能が失われたため、そこから収容された被災者が多かったが、「ここは避難所であって病院ではない。病棟診療と同等の医療を提供できるようにすることが、必ずしも自立支援につながらない。帰る場所がある人はできるだけ帰れるようにしてあげたい」との趣旨のお話をうかがった。

写真2 石巻赤十字病院での全体会議 全国の医療支援チームが毎晩、会議室に集合した

 毎日18時から石巻赤十字病院で開催される全体会議(この日は35チームが参加していた)でも、災害医療コーディネーターの石井正医師は、「ゴールは自立支援であって、支援者への依存を作り出すことが目的ではない」とのことを語られた。

 こうした大局的な意見とは別に、全国からの医療支援としてもちろん感謝されながらも、いたずらに避難所内で新規患者を掘り起こして避難所内部での医療介入を増やすことが、本当に地元医療の再建につながるのかとの声もあった。個人的には、避難所医療の更なる充実よりも仮設住宅・仮設診療所の増設が優先されるべきであり、それらに対する在宅診療や外来診療応援ができれば理想的なのだがと感じた。時間のかかる仕事だが。

 石巻市立病院の本格復旧のメドが立たない現状で、看護師さんたちはこれまでの勤務先の仕事がなくなり、避難所の「遊楽館」でも施設の一角で待機し、医師の指示を受けたり、配薬したり、病院受診の被災者に付き添って行ったりしていた。

 泊まりがけの日もあり病棟業務とさほど変わらぬ責任のある仕事をしていながら、看護師さん同士の立ち話が聞くともなしに耳に入ってくると、住む所をどうするか、巡回バスがなくなったらどうやって通うか、この避難所の仕事がいつまであるのかなど、身につまされる自分たち自身の生活の心配だった。

 私たちは涌谷町国民健康保険病院宿舎に寝泊まりしていたので、風呂にもトイレにも不自由せず、歩いて5分の大手スーパーに行けば水・お茶のケースや食料品が山積みになっていて、宿舎から「遊楽館」までは車で15分というきわめて恵まれた環境にいた。

 一方、気仙沼に派遣されたチームは、宿舎が岩手県内のため避難所までバスで片道3時間かかったという。7〜8時間仕事して、3時間かけて宿舎に戻り、銭湯までバスでまた1時間。その間の食事は、パンかおにぎりのみ。睡眠は4時間という強行軍だったそうだ。

 我々の宿舎でのルーチンは以下の通りだった。朝8時から無事を確認するための点呼、8時45分には「遊楽館」で看護師からの申し送り、9時10分からPCATのスタッフに加え看護師・薬剤師のみならず管理栄養士や理学療法士なども交えた全体ミーティング、それから回診して11時までには指示簿を記入、午後は処方箋書きや紹介状作成に追われ、18時に石巻赤十字病院での全体会議。

 夕飯は外食して、21時から宿舎でPCAT涌谷ハブミーティングとして在宅診療やPCOTチームともミーティング(妊産婦支援をするPCOTの池田裕美枝医師や司会の黒川みな子看護師にお世話になったが、このお2人も吉田先生のブログで紹介されている)。その後に、23時には終了してしまう風呂(付近の温泉を引いている!)に入ることができた。