外部からの支援者は期限が来れば帰れるが・・・
 ベイサイドアリーナには、われわれ以外にも外部からの支援チームが多数来ており、皆使命感に燃え、徹夜もいとわずばりばり働いていました。一方、被災された方々の多くは疲れ切った様子でした。われわれは期限が来れば家に帰れますが、被災された方々はこの生活の終わりが見えないのです。

 4月5日には、「国境なき医師団」やイスラエルの医療チーム、徳洲会など、各団体の代表者による会合がありました。活動期間について聞いたところ、最長でも1カ月程度で、この時点では、長期に渡る支援を計画している団体はほとんどありませんでした。

 阪神・淡路大震災のときは、3カ月ほどで地元の医療機関の多くが復旧したので、外部からの救急医療チームが、地元の医療機関に仕事を引き継ぐことができました。しかし、東日本大震災では、地元の医療機関の復旧に相当な時間がかかるでしょう。自治医大卒業生による今回のプロジェクトでは、半年間の支援計画を立てていますが、被災地の医療が復興するにはもっと長い時間がかかると感じています。

支援がタダの押しつけになっていないか
 今回の活動で痛感したのは、現地の状況を的確に把握することの大切さです。

 私たちのチームは4月8日から津山診療所に拠点を移しました。ここは、医師不足のため診療を休止していたのですが、自治医大のチームが3月23日から、診療所を再開していました。しかし、思ったほど患者さんが来ません。

 津山診療所の近くには、南三陸町から約300人の方が避難されている津山若者総合体育館があります。そこの診療は、津山診療所が担当することになっていました。私たちの直前に入ったチームの医師が、避難所に巡回診療を申し出ていたのですが、「間に合っています」という反応だったと聞きました。

 そこで、登米市の福祉事務所に赴き、「登米市の保健師さんは通常業務に加え、登米市の被災者の対応と南三陸町の被災者の対応という3つの仕事を抱えてオーバーワークに陥っているのではありませんか。私たちは、皆さんの業務を少しでも肩代わりしたいのです」とお伝えしました。その後、9日に津山若者総合体育館で保健師さんとお会いしたところ、現場の事情を率直に話してくださいました。

 外部からの医療支援の申し出はたくさんあるが、その応対だけでかなりの時間を取られてしまう上に、支援に来ても短期間で帰ってしまう。また、保健師さんたちも地域を巡回しているので、支援チームが巡回すれば重複してしまう懸念もあるとのことでした。

 このお話を聞いて初めて、必要なのは、保健師さんの代わりに避難所で健康相談を受け、彼女たちを休ませることだったと気づき、この日から、健康相談を開始しました。この経験から、「こちらの思い込みだけで動いてはいけない。まずは現地の方々の話を聞いて状況を把握しなければ、何が必要とされているかは分からないのだ」と学びました。

誰のために支援にいくのかという葛藤
 実は今回のプロジェクトに参加を決めた後も、自分の中に迷いがありました。現地に行くのは、被災者のためではなく、自分のためではないかという思いがあったのです。日ごろ学生に、「君は何のために医者になるの?」「君たちが得る知識や技術は自分たちのためのものじゃない。社会のために使ってこそ医者だ」などと言っているのに、その自分はどうなのか。そんな迷いを解消できないまま現地入りしたのですが、甘い考えを反省させられる出来事がありました。

 4月7日の23時過ぎ、大きな余震が発生し、停電になりました。私は藤沢町民病院で事務作業をしていましたが、朝になっても復旧しなかったので、藤沢町民病院の的場俊先生に、「われわれが現地入りしたときには、暖房もつくしお湯も出るしで、ここは本当に被災地?という気がしたけれど、次のグループには被災地に来たという実感を持ってもらえそうです」とふと漏らしてしまいました。

 的場先生には、「先生たちはそうかもしれないけど、こっちはたまらないですよ。もう勘弁してほしいです」と言われてしまいました。お恥ずかしいことですが、的場先生とのこのやりとりがあって初めて、「被災地での支援活動」について、自分のなかに勝手なイメージができていたことに気づきました。

 ライフラインの途絶えた場所でも、自立した支援をするのだとイメージして覚悟を決めて来たのに、実際には、水も電気も使えるようになった環境で、患者さんの増えた外来を手伝っている自分がいます。今思えば、それも支援の一つの形に違いないのですが、勝手に作ったイメージに縛られて「これが支援なの?」と拍子抜けしたような気分になってしまっていたのです。

 「被災者を助けたい」という熱意はとても大切です。でも、これから支援に行かれる方には、被災地に対して自分のイメージを押し付けてしまっていないか、常に意識することを忘れないでいただきたい。自省を込めてそう思っています。