写真4 校庭にズラリと並ぶ救急車。

最初に到着したのは、患者が乗っていない空の救急車。
その数、実に15台以上。
本部と緊急消防援助隊の連携で、載せ換え搬送のために送り込まれてきた。

そのうち大型バスや自衛隊救急車に乗せられた患者が到着した。
しかし校庭はどこも砂混じりの土で、バスに乗り込むと放射線量が高い砂が混入してしまう。
そこで、強風の中ではあったが、地面の上にブルーシートを敷いて、車内への汚染土の持ち込みを避けることにした。

写真5 放射線量の高い砂や土の混入を防ぐため、地面にブルーシートを敷く。

サーベイ班が乗り込むと、多くは返事もできない高齢者で、話せても歩行は困難だった。
事前の情報では「歩行可能」となっていたが、まったく話が違う。

やむを得ず、県警隊員や自衛隊員の体力を頼み、おんぶや“お姫様抱っこ”の移送となった。
ときには2人で抱えたり、布担架を使ったり。
ただ、バスなどの車両内は通路が狭く、一度に1人しか動かせないため、作業は遅々として進まない。

校庭には次々に車両が乗り入れ、複雑さも規模も、すでに前日とは比較にならない。
みんな目の前の作業で精一杯、全体を把握することが難しくなっていた。

トラブルは、こんなときに襲ってくる。

写真6 救急車のほか、自衛隊車両、患者搬送用の大型バスが校庭に所狭しと並ぶ。

●搬送先は?錯綜する情報
小野田病院(福島県南相馬市)から到着した3台のバスは、30人ずつ「自治医科大学(栃木県下野市)」と「とちぎリハビリテーションセンター(宇都宮市)の体育館」に振り分けて搬出とされていた。
だが、体育館とは避難所だろうか? そうだとすれば軽症を選ぶべきだろう。
しかし、初めて診る高齢患者の中から、軽症者を選別するのは困難を極めた。

問題が起きたのは、このとき。
3台のバスに乗る付添い家族は、全員が自治医大行きだと思っていた。リハビリセンター体育館という目的地も知らない。
病院関係者に聞くと、「自治医大の隣にリハビリセンターがある。だから同じ場所だ」と返ってくる。

私は福島県庁のDMAT本部に電話して確かめた。
「自治医大とリハビリセンターは隣同士か?」「ちがう」
「自治医大に全員運んでいいのか?」「いや、30人ずつ分けて運ぶ」
「それなら、こちらで搬送先を決定して良いのか?」「少し待って」

揉めているのか、まだ決まってなかったのか。
しばらくして返ってきた返事は「そちらで判断してよい」
「リハビリセンターの体育館とは避難所か? それとも、そこで病院に振り分けるのか?」
「わからない。直接、大田原赤十字病院(栃木県大田原市)へ電話してほしい」

そこで私は、続けて衛星電話を取り上げた。
リハビリセンターを統括する太田原赤十字病院の医師が応じてくれた。
「体育館で二次トリアージしてから入院病院を決める」

その後、自治医大と福島県庁DMAT本部は、新しいことを決めていた。
しかし、その情報が川俣高校校庭の我々に伝わったのは1時間後。
「軽症が自治医大で、中等症がリハビリセンター」

今からその選別は、不可能だ。