2011年3月11日に発生した東日本大震災を受け、医療支援NPO「TMAT(http://www.tmat.or.jp)」(注)の派遣メンバーとしてボストンから被災地入りした看護師、原田奈穂子氏から、「避難所の中で“新しい町”を作ろうとしている」の続報が届いた。

 原田氏は日本で看護師の経験を積んだ後、渡米して看護師資格と修士号(University of PennsylvaniaのNPプログラム)を取得し、現在はBoston College看護学部博士課程に在籍中である。大震災の知らせを受けて来日、3月14日〜18日に宮城県気仙沼市で第1回の支援活動に当たった。第2回の支援活動は3月23日〜28日、同じ気仙沼で行った。

編集部注: TMATは、阪神・淡路大震災後に徳州会グループの医師らが作ったボランティアグループを発端として2005年に発足した医療支援NPO。国内外で災害医療や医療支援活動を実施している。


TMATメンバーです。今回のミッションの最後の日に撮影しました

 TMATの本部の方から、「ハワイの米国人医師から医療援助の申し出があったので、通訳兼看護師として同行してほしい」とのお話をいただき、3月23日から28日まで、被災地での2度目の活動に参加してきました。行先は第1回と同じくTMATの活動地である宮城県気仙沼市階上(はしがみ)です。

 最初に少し、町の印象を報告したいと思います。2度目の気仙沼は、前回(3月14〜18日)と比べると、多くの土砂や倒壊した家屋が整理され、区画が判別できるようになってきていました。多くの道も、応急処置なのでしょうが舗装され、通りやすくなっていました。

 写真が撮れず、現地の様子をご覧いただけないのが悔やまれます。自衛隊の方々が一列に並び、道路と歩道の段差に溜まった泥をシャベルで掻きだして整備している様子を救急車内から見たときは、ただ、頭を下げることしかできませんでした。

 階上中学校の避難所でも、簡易トイレが増設され、暖房機材も潤沢に整備されていました。3月28日現在の階上地区では、電気と水道が復旧しており、中学校に避難されていた方も、ピーク時は1200人以上だったのが800人ほどにまで減っているようです。

仮説診療所では安定した医療提供が可能に
 医療支援の第1陣が構築した診療所はその後、継続的に強化され、非常に安定した医療支援を提供できる拠点に発展していました。また第1回の活動でもご一緒した野田一成先生、米アラバマから現地入りしたNP(ナース・プラクティショナー)の山之内薫さんなどと、また活動を共にすることができました。その結果、前回お会いした多くの患者さんに継続した視点で医療を提供できたことが、私にとってもっとも意義のある経験となりました。

 主な活動内容は、診療所での診察、近隣の避難所への巡回診療、高次医療が必要な患者さんの搬送であり、第1回と大きな差はありませんでした。前回は24時間稼働していた診療所は、避難所の方々の状態がかなり安定してきたことに加え、被災しなかった、もしくは比較的被害が少なかった地域の医療機関が業務再開を果たされたことにより、午前中3時間と午後4時間の診療体制に変わっていました。

 ただし、時間外でも患者さんが来訪された場合や、市の保健師や看護師の方から依頼を受けた場合は、もちろん診療に当たります。さらに今回は、近隣の医療支援団体がまだ入っていなかった面瀬(おもせ)中学校にも、隔日で診療所を開くことができました。