写真5 八戸から持参したタイベックスーツを着た2人。

●飯館村で活動開始
放射線サーベイ、簡易診察、メディカルチェック、本部統括のチームに分かれ、それぞれ指示の下で準備にとりかかった。

明石医師と西川看護師はペアでサーベイ担当となり、タイベックスーツに着替えた。
いつも八戸でやっている、被ばく患者受け入れ訓練と同じ要領だ。問題ない。

八戸が持参したのは青いスーツ、福島県が用意したのは白いスーツ。
現場で絶妙なコントラストをなしている。

駐車場の空中放射線量をサーベイメーターで計ると、6000cpmと異常に高い。
地面に当てると1万3000〜2万cpm。なるべく外に出ず公民館内で待機とした。
10万cpmを超えたら、作業を中止することも約束した。

写真6 到着した救急車。

そのうち、隊列を組んだ5台の救急車が南相馬市立総合病院から1時間以上かけて到着した。新潟への搬送にヘリが使えず、万策尽きて救急車で1人ずつ長距離搬送する竹槍戦法だ。新潟では消防学校に臨時で開設された医療拠点(SCU)で一度トリアージした後、適切な病院へ収容させるという。

準備していた通り、2班に分かれて救急車に乗り込んで作業開始…と思ったら、
南相馬市立総合病院の医師は、搬送前に放射線量を測定した旨の証明書を発行済みだと言う。
その代わり搬送してきた救急隊から、自分たちをサーベイしてほしいと依頼される。
このくらいの誤差は想定内、救急隊のサーベイチームを別に用意して次に備えた。

南相馬市立総合病院から新潟へ5名の搬送に成功した。たかが5名、されど5名。

写真7 日がくれても救急車の到着は続く。

ここから30〜60分ごとに、鹿島厚生病院と老健施設から大型バスと救急車が到着する。
サーベイチームはバスに乗り込み、返事も返せないようなお年寄り相手に作業を進める。
次第に要領が良くなり、傍目には混雑しているようでも、滞りなくチェックが済んでゆく。

日も暮れた頃になって、本部から電話が入った。
山梨日赤と災害医療センターの DMATが福島県庁に到着した。
あとどれくらいかかるか、夜を徹して作業を行うか、メンバー交代をどうするか。
本部と相談した結果、ここでの作業は22時で終了と決めた。

写真8 明日の活動について話し合う。

●撤収
しかし、18時に一挙17台の救急車が到着して以降、患者が来なくなった。
約1時間以上の空白時間があり、みんなこの機会に夕食をとった。
八戸隊は公民館内でストーブを囲み、出発前に病院生協で買い込んだ弁当を食べた。

が、患者は来ない。いったいどうなっているのか。

電話で問い合わせると、驚くべき内容だった。
「暗くて患者搬出が不可能になった。予定の140人は明日に持ち越す」

仕方ない、撤収だ。
反省会を行ってから飯館公民館を出発、県庁に到着したのは21時だった。

結局、約50名のなかに1万3000cpmを超えた患者はいなかった。
むしろ地面の放射線量が高く、正しい測定が難しいほどだった。

飯館は放射線量が多く水も出ないので、サテライトに適さないと議論になったが、
話し合いに時間を要した結果、翌日7時半に参集して活動場所を確認すると決まった。

我々は宿泊場所を何とか探し出し、遅い時間に旅館に入った。

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