写真2 荷物を満載にして出発を待つドクターカー2号。

●福島への出動決定
ERで患者を診ていた明石医師、「自分は出動できます。東京の両親にも連絡しました」
千葉医師からも、「留守電を聞きました、出動できます。両親と婚約者にも伝えました」
これで3名、最低限の体制はできた。

看護師の緊急出動は、勤務シフトに影響がない者で、かつ希望者に限る。
ERの巻師長が推薦してくれた西川看護師に、改めて希望を確認した。「行きます」

4名がそろった。
私は青森県庁に電話した。「福島へ、ドクターカーでDMAT出動します」
放射線個人線量計、放射線サーベイメーター、防御服タイベックススーツ、ゴム手袋。
これにDMAT基本装備、寝袋と食糧。さらに現地で不足している酸素ボンベ2本。
ドクターカー2号は、前日の帰院からわずか17時間で再び南東北に旅立つことになった。

写真3 高速道路を緊急走行するドクターカー2号。(YouTubeより転載。もとの動画はこちらから

●いざ出動
3月18日午前9時、私が運転するドクターカー2号は緊急走行で病院を出発した。
高速道路は緊急自動車のみ通行可で、八戸インターチェンジは警察が検問していた。
サイレンと赤灯をオンにしたまま通過する。

東北自動車道の上り線は空いていた。
八戸ナンバーのタンクローリーが編隊を組んで南下している。
八戸港に入港した石油タンカーから、ガソリンや重油を南東北に配達するのだろうか。
それとも、地元八戸のために関東やさらに遠方へ油を受け取りに向かうところか。

13時ちょうど、八戸DMAT隊は1時間遅れで福島県庁に到着した。

写真4 上)会見場の模様。下)福島県緊急被ばく医療調整本部、DMAT福島県調整本部の入り口。

●500名の患者に対応
福島県庁の隣、自治会館の3階が福島県災害対策本部だった。

※3月18日の災害対策本部の様子を収めた動画は、こちらからご覧ください。

東京電力の会見場となっている廊下を抜けて階段を上がると、参集場所の4階会議室。
入り口の看板は「福島県緊急被ばく医療調整本部兼DMAT福島県調整本部」。

色とりどりのユニフォームが動く室内で、国立病院機構災害医療センターの近藤医師が待っていた。
この時点で、募集20隊に対して参集わずか6隊。八戸DMAT隊は4隊目だという。
挨拶もそこそこに、ブリーフィングが始まる。

「(原発の)30km圏内の医療機関に残っている、400〜500名の患者を圏外へ出すのが任務。
自衛隊や警察などが患者を搬出して、新潟や喜多方などに運ぶ段取りがついている。
30km圏外のチェックポイントで待機して、患者の放射線量測定を行ってほしい。
また患者の詳細が分からないので、長時間の搬送に耐えられるかも判断してほしい。
チェックポイントは北の南相馬市周辺と南のいわき。八戸は北を担当してもらいたい。
静岡医療センターと公立昭和病院のDMAT、それに災害医療センターの放射線サーベイチームが、北に向けて1時間前に出動した」

14時、我々は福島県飯館村公民館へ出発した。
山道ドライブの末、ちょうど黙祷が始まる14時46分に飯館村公民館に到着した。
人の気配は少なく、道路には警官が配備され、交通が規制されているようだ。
あとで分かったことだが、この村の一部が30km圏に含まれたため、
翌日には栃木県鹿沼市に約200人がバスで疎開している。

先着のDMAT2隊と災害医療センターのサーベイチームに挨拶。統括が八戸に移った。
ミッションを確認する。30km圏内の南相馬市立総合病院、鹿島厚生病院、老健施設「厚寿苑」から搬出された全患者に、放射線サーベイと簡易診察を行い、問題なければ送り出す。

目的地は、それぞれ新潟県消防学校、会津中央病院、3カ所の老健施設(コクーン、久慈の里、なごみ)。
予定患者は南相馬市立総合病院だけで144名、鹿島厚生病院と老健施設も100名程度。

いずれにしろ、今日中に完了不可能なことは分かっていた。