3月11日に発生した東日本大震災により、避難所で生活する被災者は依然として18万人近くいるとみられる。電気、ガス、水道などのインフラの復旧作業が進められているが、いまだ復旧していない地域もある。さらに福島第一原子力発電所の事故で、半径20km圏内は避難地域、20〜30km圏内は屋内退避地域となり、地震・津波による直接的な被害は免れながらも避難所生活を余儀なくされている人もいる。そうした中、避難所で求められる医療のニーズは日々、刻々と変化している。

 姫野病院(福岡県八女郡)救急総合診療科部長で、日医災害救急医療対策委員会の委員を務める永田高志氏は、3月18〜20日、災害医療支援のため再度、市の一部が福島第一原子力発電所から30km圏内に含まれる福島県いわき市に入った。(まとめ:二羽はるな=日経メディカル)


 震災直後、3月13〜15日に診療支援のため、福島県いわき市に入りました。今回は、診療支援に加えて現地にやってくる医療チームと現場の調整、現地の医療ニーズの拾い上げなどを行いました。

 実はいわき市には17日に一度入ったのですが、急遽引き返した経緯があります。ちょうどその日の朝、在日米国大使館が、福島第一原子力発電所から半径約80km以内に住む米国人に避難、屋内退避勧告を出したことが分かり、いわき市に入るべきかどうかの判断がつかなかったのです。

 情けない話ですが、そのときは、伝えられている放射能や放射線の数値が持つ意味やリスクを何となく分かっているつもりでも、はっきりとは理解していませんでした。いわき市に入ることは、医学的根拠を持って問題ないといえるのか。私には即答できなかったのです。

 そこで改めて、被曝医療の専門家の先生と意見交換をしました。また、いわき市では毎日、環境放射能測定値を公表しています。こうして得られた情報などを基に検討した結果、いわき市での被曝量は医学的に許容できる範囲だと納得して、診療支援に入りました。看護師や事務職員、保健師の方とも話し合い、こうした認識を共有しました。

 災害医療で「決死の思い」とか「自分の身を捨てる覚悟」という言葉が出てくることがあります。でも私は、医療者がそうあってはいけないと思います。いま被災地が求めているのは、一瞬で終わる支援ではなく、長く継続する支援なのです。

避難所の数も避難者の数も減っていた 
 いわき市では、13〜15日のときに比べ、避難所の数も避難者の数も減っていました。自宅に戻られた方、他の地域の親戚を頼って移られた方が多くいたようです。

 今回驚いたのは、震災直後に比べて、避難所の子どもが減っていたことです。最初は、県外の知り合いなどの元に移動しており、喜ばしいことなのだと思っていたのですが、実は違いました。インフラが十分に回復していない中、親子で自宅に戻っていたのです。

 後から聞いて分かったのですが、当初避難所にいた親子連れの中には、子どもが泣いたり騒いだりしてうるさいとか、病気をうつしてしまうのではとか、周囲に迷惑をかけてしまうことを恐れ、自宅に戻ってしまった方が相当数いたようです。

 しかし、戻っても上下水道は復旧しておらず、ガソリンも補給できないため遠くにも行けません。このため「子どもを診てほしいのだが、どこに行ったらよいか」といった相談が保健所にたくさん来ていたことが分かりました。

 そこで、いわき市医師会にお願いして、いわき市医師会の隣に臨時応急診療所を開設しました。基本的には内科処置になりますが、場合によっては簡単な外科処置も行ったそうです。9時から21時の診療で、2日間で大勢の小児を含む191人の患者さんが受診しました。翌日からは、現地の病院や診療所も徐々に外来診療を始められるようになり、卸の薬剤も届くようになりましたので、診療所は一旦閉めました。