3月27日日曜日
 地震から2週間以上が経過しました。
先週よりも余震の回数はやや減ってきました。
相馬市内では、ガソリンスタンドでの行列は相変わらず続いていますが、いくつかのスーパーが開店し、食品などの物資が調達できるようになりました。遠方の避難所から相馬へ戻ってくる人たちも見かけるようになり、少し活気が出てきたようです。

 医療の支援も届きはじめ、複数の都道府県から応援の医療チームが相馬に来ています。さらに、今週からは支援を申し出る問い合わせもありますが、実際のところ、今後の地元の医療体制の再興について、どのような形で外部への医療支援をお願いしていくべきか、悩んでいます。

 地震直後の急性期を過ぎ、今後の課題も、避難所に長期滞在する方の慢性疾患への対応や精神的なケア、在宅避難者の健康管理など、第2段階に入ってきています。公衆衛生や予防医学などの立場からのアドバイスを伺いたいところです。

 さらに、次々とトラブルを起こしている原発の問題については、放射線の健康被害について、市民の方々に正確でわかりやすい説明をし、地元の不安を軽減していきたいと思います。放射線の専門家をお呼びして講演会を催したり、地元の医師会でも共通の理解を深めて、それぞれの患者さんへ的確な説明をし、市内に広めていく活動が必要でしょう。

 南相馬市でも、医師会の有志の先生方が診療所を開設し、南相馬市の医療を立て直そうと動き始めました。マスコミの取材の方々も少しずつ相馬市を訪れるようになってきました。

 「原発さえなければ」という言葉が、相馬市の街中で最近聞かれる決まり文句のようになってきています。原発の関係者の方々も復旧にむけて必死で取り組んでいますが、毎日変わる政府の放射線被害の報告や避難指示、自主避難の問題などは、繰り返し住民の方々の心を動揺させています。以前から求めていた安全宣言がすぐには無理なのであれば、せめて住民が安心し、納得できるような説明と長期的な見通しを示していただけると混乱も静まってくると思います。

 いわき市と南相馬市の人々は、避難地域も含め、現在も苦しんでいますが、相馬市はその隣の町として、「もしも30キロ圏にまで避難ラインが拡張されたら」と、町の運命が左右されるのではないかという不安におののきながら復旧作業をしているのです。各医療機関も同様に、避難地域からの患者さんの殺到など、崩壊した地域医療のしわ寄せとしての医療活動の増大と、見通しが立たないなかでの医療体制再構築に対する不安が大きな問題です。

 本日午後に時間が空いて、地震後初めて浜の方までまわってきました。テレビの映像でみる以上に凄まじい景色でした。松川浦の干潟も、松林も、マラソン大会で走った海沿いの道も、みな跡形もなく流されて、津波の爪あとは、それらがそこにあったという事実をも否定するかのようでした。

 それでも港の人達は、家の後片付けを黙々と続けていました。
その原動力はいったい何なのでしょうか。相馬を、港町を愛する心なのでしょうか。

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