3月11日の東日本大震災の発生時、八戸市立市民病院救命救急センターで勤務に当たっていた今明秀氏。同センターはドクターヘリやドクターカーが配備され、災害派遣医療チーム(DMAT)として稼働できる部署。地震発生以降、どのような状況に直面したのか、今氏の許可を得て掲載する。

 八戸市民病院救命救急センターのスタッフブログ「青森県ドクターヘリ スタッフブログ」http://doctorheli.blog97.fc2.com/


写真1 八戸市立市民病院のヘリポートに夜間着陸したドクターヘリ「EC135」

震災2日目の3月12日朝を迎えた。
八戸市と周辺の太平洋側では、地震と津波の被害が大きく深刻な状況だった。

震災初日の段階で、八戸ERは92名(うち救急車38台)の患者を診療していた。
このうち入院になった患者は47名、残り45名は帰宅。
30床ある救命救急センターは、オーバーベッド状態。
予備ベッドに寝てもらう。
救命病棟の43床も満床で、一般病棟の空室を一晩で全て埋めてしまった。
しかし病棟看護師もER看護師も救命救急センター看護師も、
そして放射線技師も検査技師も弱音を吐かなかった。

問題が生じたのは、物流や施設の方だった。
以下、それを挙げてみる。

問題1)電力が持たない
大電力を消費する治療は、中止または転院とされた。

問題2)酸素が持たない
酸素投与の節約と、酸素を止める患者の選別が必要とされた。
また人工呼吸器を外す患者も、家族の同意を得ながら検討が進められた。
しかし、家族がいる避難所への電話は不通。
酸素の節約は思うように進まない。
そこで、人工呼吸器が必要な患者の転院も必要と思われた。

問題3)給食が継続できない
特に流動食が最初に不足する見込みだとされた。

問題4)空きベッドがない
新たな重症患者を受けるため、救命救急センターに空床を作る必要がある。
市内の総合病院に転院を頼める先はない。
労災病院、日赤病院はいずれも八戸の砦。
そして八戸市立市民病院救命救急センターは最後の砦。
北東北の医療の最終防衛線。
ここが敗れれば、岩手県北部から青森県南部の太平洋側は総崩れになる。

そこで、八戸市民病院の重症患者を遠隔地に転院させる作戦を練った。
搬送手段はドクターヘリ。
通常は陸路で救急車利用150kmの距離を、直線空路なら25分で運べる。
前日は津波を避け、高台の八戸飛行場に避難したドクターヘリだったが、
この日の朝8時にはいつも通り八戸市立市民病院のへリポートに戻っていた。

本日のドクターヘリ当番は明石医師と軽米医師。
私は弘前大学医学部附属病院の高度救命救急センター浅利靖教授に電話して、
転院させる患者の受入れ許可を得た。

10時17分、浅利教授との電話中にドクターヘリコードブルーPHSが鳴り響いた。
「五戸町で意識障害の男性」
ドクターヘリ通信指令室へ駆け込んだ明石、軽米医師が得た情報はこれだけ。

10時22分ドクターヘリは離陸、ランデブーポイントは五戸の浅田支所駐車場。
10時31分に着陸、救急車が3分後に到着した。

バイタルサイン、血圧左右差、血糖、
意識レベルと脳卒中スケール確認、エコー、輸液。
10時47分離陸。ドクターヘリ内で心電図12誘導。
「ダイレクトCTの準備お願いします」
明石医師はダイレクトブルーPHSに電話を入れた。
ダイレクトCTとは、ヘリポートから直接CT室に行って撮影すること。
現場から診療を開始しているからこそ、できることだ。

10時54分、八戸市立市民病院着陸。
患者はCT室で撮影を行った後、ERへ入室した。