私は3月13日から16日にかけて宮城県塩釜市の坂総合病院(357床)で支援活動を行いました。宮城県民医連から全日本民医連への支援要請に応じたものです。

 私は阪神・淡路大震災の際にも医師として応援に入りましたが、今回は福島第一原発の問題もあり、「帰れないかも」とひそかに思っていました。応援に入っていた医師は皆、同じように感じていたようです。

阪神・淡路大震災に続き、医療支援を行った内藤氏。

 坂総合病院は、数年前の立て替えで免震構造を採用しており、ガラス張りの建物ながらほとんど傷んでいませんでした。地震を感じさせるのは、トイレのタイルがはがれていたことくらいでしょうか。

 また、たまたま井戸水が使える土地で、自家発電もありました。水と電気が保たれていたため、外来も含めてほぼ通常業務をこなせていました。塩釜市のほかの病院は、既に入院していた患者を守るのが精一杯だったと聞いています。

 支援に入った当初は医薬品や食料の残量が不安でしたが、全国から続々と物資の支援が集まったため、すぐにそれは解消しました。また、私が離れた16日には、医師だけでも数十人、看護師や事務を含めると200人以上が病院に支援に入っていました。

被災した坂総合病院。外観上の変化はない。


 災害拠点病院として年3回災害訓練を行い、地震の直前にまさに訓練を行ったばかりだったことも幸いし、救急車を受け入れ実績が年間約2400件、急患の外来受診が1日平均58人の病院で、震災食後から1日平均で200人以上もの緊急患者を受け入れたのです。夜遅くなると暗くて歩くには危なく、かといってガソリンもなく救急車もロクに走っていない状況だったので、午前2時から6時までの深夜・早朝の患者は1〜2人程度。つまり、昼だけで通常の何倍もの緊急患者を受け入れました。

 今回、私は同院で救急患者に対応しました。その感覚で言えば、今回の被災地支援は、阪神・淡路大震災時の延長で考えてはいけないと思います。阪神・淡路大震災の際には、発災後1週間以上経ってから現地入りしたにもかかわらず、骨折を我慢していた患者さんなど、外傷の患者も一定数おられました。

 ところが今回は、外傷は少なく、薬が津波で流されたことによる慢性病の悪化や、避難所で流行り始めたインフルエンザなどで体調を崩した方、在宅酸素で酸素が底をついた方などが中心でした。具体的には、インシュリンが切れて低血糖となり、意識障害を起こした患者さんやワルファリンが切れた心不全の既往がある患者さん、元々パニック障害で発作を起こされた患者さんといったケースです。支援に入った外科医の中には、活躍の場をなかなか見付けられないまま、被災地から去った医師もいるほどです。

 それでも坂総合病院にアクセスできた患者さんはまだ幸いです。多くの避難所では、具合が悪くなってもそれを伝える術も、医療機関にアクセスする術もなかったからです。私が持っていったauの携帯電話はまったく通じず、NTTドコモの携帯電話も10回メールすると1回通じる程度。

 そのような状況下では救急車も呼べず、かといってガソリンもありませんから、歩けなければ来院しようがないのです。避難所を訪ねて回った医師が、坂総合病院が機能していることを伝えてはいましたが、「どうやってアクセスすればいいんだ?」と問われることもあったようです。阪神・淡路大震災の際には、病院の建物のダメージが大きく、当初は情報の入手にも苦労しましたが、それでも電話回線をすぐに引いてもらえました。情報アクセスの点でも、今回はさらに大変だと思います。

1年目の医師でも十分に戦力に!
 現場ではあらゆる診療科の医師が必要ですが、今特に必要なのは、外科ではなくプライマリケア医です。精神科の医師も必要です。統合失調症やうつの患者さんも薬がなくなればどんどん悪化します。われわれは、どうしても阪神・淡路大震災の延長で医療支援を考えがちですが、今回は、一つの避難所がそのまま町になっているような被災地もあるのです。